DX活動の難しさの本質は、取り組みを行う組織やチームごとに抱える課題や目指すべきゴール、そこへ向かう道筋がすべて異なる点にあります。いわゆる「銀の弾丸」は存在せず、実践から得られた学びをもとに自分たちで足場をつくりながら、一歩ずつ前進することでしか変革は成し遂げられません。組織で変革を実現するために有効なのが、「仮説検証」と「アジャイル」の手法です。ソフトウェア開発から生まれたこれらの手法を組織変革に適用するためには、知恵と工夫が必要です。
 私たちレッドジャーニーは、多種多様な業種、業界、規模の組織で「仮説検証」と「アジャイル」の導入支援を行ってきました。そこには、ある程度共通する課題感や有効なアジャイルプラクティスが見られます。組織変革において本当に大事なこととは何でしょうか?今年4月に開催されたRed Conference April Day3 でレッドジャーニーのメンバーよりご紹介した、経験と実践にもとづく「組織変革におけるアジャイルの技」をお伝えします。
※記事の内容は、イベント開催当時(2022年4月)の情報です。

組織内のレイヤー別 アジャイルプラクティスの技
~「非存在の存在」から始めてみよう~

新井剛 Takeshi Arai

株式会社レッドジャーニー 取締役COO

プログラマー、プロダクトマネージャー、プロジェクトマネージャー、アプリケーション開発、ミドルエンジン開発、エンジニアリング部門長など様々な現場を経て、全社組織のカイゼンやエバンジェリストとして活躍。現在はDX支援、アジャイル推進支援、CoE支援、アジャイルコーチ、カイゼンファシリテーター、ワークショップ等で組織開発に従事。勉強会コミュニティ運営、イベント講演も多数あり。
Codezine Academy ScrumBootCamp Premium、機能するチームを作るためのカイゼン・ジャーニー、今からはじめるDX時代のアジャイル超入門 講師
CSP(認定スクラムプロフェッショナル)、CSM(認定スクラムマスター)、CSPO(認定プロダクトオーナー)
著書「カイゼン・ジャーニー」、「ここはウォーターフォール市、アジャイル町」、「いちばんやさしいアジャイル開発の教本」、「WEB+DB PRESS Vol.111 見える化大作戦特集

各レイヤーに効くアジャイルプラクティス

社内の各レイヤーに対して効くプラクティスとして、これまでの経験から、こんなことができるといいのではないかと思います。

  • 社員向け:溜め込まないよう見える化
    見える化・タスク管理、見える化ファシリテーション
  • PO/SM層向け:野心・野望、サーバントリーダーシップ
    優先順位、スプリントゴール、ワーキングアグリーメント
  • リーダー/管理職層向け:現場の声を聞こう、サーバントリーダーシップ
    1on1、権限移譲、モチベーョン
  • 推進組織層向け:初手の後押し、型作り、意見のすり合わせ
    ウォーターフォールとの対立への丁寧な対応、ふりかえり、タスクボード、権限委譲、やらないこと決め、期待マネジメント

“部分的に、あるいは全体的に支援する人”や”一気通貫で見て柔軟に動ける存在”が、今の社内には足りないように感じます。もちろん、”できている部分”も”できていない部分”もあるでしょう。できない理由としては、役職、権威、給与などによる「こうすべき」という圧力が強いのではないかと思います。
だからこそ「帽子を持っていない人」がすごく大事で、場合によっては、レッドジャーニーなど他の会社に依頼してみるのもシンプルな方法ですがおすすめです。

どのレイヤーでも取り組みやすい方法論として、自分の目の前で起こっていることの「見える化」があります。タスク、期待値、役割、マイルストーン、ゴールなど、混乱していることや必要なものは何でも「見える化」していくといいと思います。アジャイルの基礎素養とも言える「見える化」と「ふりかえり」が定着してから、スクラムなど横展開にスケールしていくといいのではないでしょうか。

見える化――「非存在」を存在させることから始めよう

物事に愛称をつけることで、自己コミット感がアップすると言われています。心理的オーナーシップが高まると、意欲や幸福感がアップし、生産性も劇的に向上します。
心理的オーナーシップとは、何かを「自分のもの」と感じることで、精神的なつながりを感じる経験のことです。例えば、家族の写真やお気に入りのポスターで自分好みのデスク空間にできることなどもそうですし、見える化ボードへのネーミングや、独自プラクティスなどのアイデアなどもそうです。「自分のもの・こと」だという感覚を抱けるようなことは、何でも心理的オーナーシップにつながります。

オーナーシップ=当事者意識を持ち、自分自身で物事を選択した場合、他の人に言われた場合と比べて5倍のコミットメントがあると言われています。以前、ある会社で、20〜30件くらいのプロジェクトのステータスを管理するダッシュボードをつくりました。やがて、私が知らないうちに「新井マップ」と呼ばれるようになっていたのですが、こんな風に愛称をつけると愛着がわくんですよね。話が伝わるスピードがどんどん速くなって、2ヶ月弱でバージョンが5〜6段階くらい進んでいったように記憶しています。

これは、「非存在を存在」させていくこと、言いかえれば、概念を言語化する見えていなかったものを見えるようにすることです。思い起こされるのは、人類の歴史における「ゼロの発見」の物語です。

「ゼロ」の概念は、紀元5世紀頃にインドで生まれたのだそうです。「ゼロ」がなかった時代には、「加算型記数法」が用いられ、桁が上がるたびに新たな単位をつくらなくてはなりませんでした。一方、「ゼロ」発見後の時代では、現在も続く「インド式位取り記数法」を用いて、0から9までの10個の数字で何桁まででも表すことができるようになりました。

「ゼロ」の役割もまた、どんどん変遷していきました。最初は楔形文字で表現しており、他の数字とは違う「記号」としての存在だったのが、その後、アラビア数字の1〜9に0が加わり「数」としての「ゼロ」になり、最後に、「計算法」としての「ゼロ」になっていったそうです。インドでは、この3段階が一気に起こりましたが、浸透するまでには時間がかかったようです。また、ヨーロッパでは「無」という考え方は宗教への冒涜とみなされ、法王によって厳しく禁じられたため、浸透するまでにさらに長く、数百年ほどかかったようです。

「見える化」と「ゼロ」の物語はとても似ています。口語の世界でどんどん流れて消えていく「非存在」を、あらためて言語化し「見える化」することは非常に大事だと思います。

また、「ゼロ」の役割が「記号」から「数」、そして「計算法」へと変遷していったように、「見える化」も「場づくり」、そして「組織運営」へと変遷していくといいのではないでしょうか。社内における、”過去からの踏襲圧力”が強く、なかなか「見える化」が進まなかったり、「場づくり」へと進められなかったりする現場もあるかもしれません。あるいは、考え方の断絶によって「組織運営」へ転がっていかない場合もあるかもしれません。かつて「ゼロ」が辿ってきた歴史と同じように、時間がかかっても一つずつ乗り越え、浸透させていけたらいいのではないかと思います。

「型」と「組手」で試しながら「レベルアップ」する

次にできることとして、アジャイルの「型」と「組手」があります。「型」と「組手」は空手の基本構成です。アジャイルに置き換えてみると、スプリントの「型」をまずは回してみて、そこで出てきたいろんな現場のアイデアを、気軽に「組手」のなかで試してみるということです。ダッシュボードのレーンを改造したり、デイリースクラムのアジェンダを変えてみたり、ふりかえりの方法を変えてみたり、様々なアイデアを試してみて、その結果をふりかえりながら、どんどん「レベルアップ」していくことが大事です。

アジャイルとウォーターフォールの対立構造にしてしまうのは、非常にもったいないことです。単なるプロセスの話として片付けるのではなく、組織変革・組織運営の「型」として活用できるようになればいいのではないでしょうか。まずは、どのレイヤーでも、自分の目の前で起こっている「非存在の存在」を「見える化」するところから発見してみましょう。

もしも「ゼロ」がなかったら、今の世の中はどうなっているでしょうか。現代に生きる私たちも当たり前のように使う「インド式位取り記数法」は、数記号の歴史の最終段階であり、これに勝る表記法はもう現れないだろうと言う人もいます。この方法が現れてからは、他のいかなる記数法も発見することができなくなったのです。

「アジャイルソフトウェア開発宣言」が発表されてから、およそ20年が経過しました。さらなるトランスフォーメーションのために、アジャイルよりも良いものが生まれていくのか、それとも、アジャイルが欠かせないものになっていくのか、歴史が証明してくれるはずです。少なくとも、私たちが今生きている世界では、アジャイルは欠かせないものだと思います。

もしかしたら、アジャイルは次のトランスフォーメーションのための単なる布石なのかもしれません。いつか、アジャイルが過去のものになる日が来るのかもしれません。そんな可能性もすべて含めて、未来が楽しみだと感じています。

組織変革におけるアジャイルの技
~組織変革で出会うアンチパターン~

中村洋 Yoh Nakamura

中村洋

様々な組織、現場でのエンジニア、スクラムマスター、アジャイルコーチを経て今に至る。
これまで40社、80チームを支援。
「ええと思うなら、やったらよろしいやん」を口癖に、社内のみならず社外のチームがより良くなるお手伝いなど日々活動中。
・アドバンスド認定スクラムマスター Advanced Certified ScrumMaster(A-CSM)
・認定プロダクトオーナー Certified Scrum Product Owner(CSPO)
【発表資料】 「いい感じのチーム」へのジャーニー、チームの状況に合ったいろいろなタイプのスクラムマスターの見つけ方、アジャイルコーチが見てきた組織の壁とその越え方、など多数。

組織変革の場で出会うアンチパターン

これまで10年にわたって、様々な業種や業態、規模の組織を支援してきました。関わった現場は41社、関わったチームは83チームにのぼります。アジャイルカルチャーが組織に根づくまでの挑戦や、組織がアジャイルになっていくまでにどんなことが起きるか、といった話をピックアップしたスライドも発表していますので、ぜひご覧ください。

Docswell Yoh Nakamura発表スライド

今日は、組織変革への取り組みの過程で出会う幾つかのアンチパターンと、それらに対するアプローチ案を、自身の経験を踏まえてお伝えします。以下に示した7つそれぞれのアンチパターンについて、じっくりとお話したいところですが、今日は4つをピックアップしてお話します。

  • 「DX、1つください」
  • 正解を見つけるまで分析し何も始められない
  • 当事者不在で始まる
  • 経営層などの「自分は関係ない」という発言
  • 理想が高すぎる
  • できないことばかりに目が行く
  • すぐに成果を求める

正解を見つけるまで分析し何も始められない

すべての情報や計画が出揃うまで何も進まない、というパターンが一つあげられます。そこでよく耳にするのは、「内部で揉んでいます」「検討しています」「情報を集めています」といった発言です。
もちろん、情報を集めるのは大事なことです。何もわからないまま前に進めば、無駄になることもあるでしょう。
しかし、足踏みしているうちに変革に取り組む流れが止まってしまうことがあります。停滞しているなかでも、何かしらは進んでいることが多いものですが、そのモチベーション、モメンタム、流れといったものが完全に止まってしまいます。
また、仮に計画をつくれたとしても、計画通りに遂行することが目的になってしまうこともあります。

組織変革というのは、人々がそれぞれにいろんなことを感じ、様々な思惑を抱えながらする営みです。
組織の規模にもよりますが、とても複雑性の高いものですから、すべてを見通し計画するにはコストがかかりすぎますし、そもそも計画通りに進むことの方が少ないです。
計画することが無意味なのではなく、計画しすぎないようにすることが大事です。すべてを詳細に見るのではなく、全体像をざっくりと把握するようにしましょう。

そして、「分からないことが何か」をリストアップします。それを手がかりに、分からないことを分かるようにするための活動へと進むことができます。例えば、「分からないことリスト」をプロダクトバックログのような形でつくってみて、「何が分かったら次へ進めるのか」「何を分かることで変革をさらに進められるか」という話をするのも一つの方法ではないでしょうか。

施策は短いイテレーションで回し、いつでも止めたり計画を変えたりできるようにすることが大事です。Scrumでは1~2週間のスプリントで取り組むことが多いですが、組織変革の場合のイテレーションは、もう少し長めに、2週間~1ヶ月くらいのイテレーションで回し、「どういう変革が起きてきているか」「何が分かったか」を見ていくこともあります。

当事者不在で始まる

大きな組織では、DX推進のための部署や組織を新たに設けることがあります。
しかしながら、実際に取り組む人たちがいないところで計画がつくられたり、立ち上げが決まったりすることがあります。スタート直前になって当事者たちに知らされるようでは、あまりいい結果にはつながりません。

なぜなら、取り組む人たちが「自分事感」を持つことが難しくなるからです。
「自分事感を持つ」ことは、組織変革の大事な要素の1つです。情熱やモチベーションがとても大事なのです。
知らないところで勝手に決められてしまっては、そのような情熱やモチベーションを持ち、保つことができず、活動を続けることができません。

また、取り組む人たちと、彼らを支援する立場であるはずの経営層との関係性が構築できないことも、うまくいかない原因となります。
勝手に決められたのだから、勝手に梯子をはずされることもあるのではないか、と不信感を抱いてしまうのは仕方のないことではないでしょうか。

当事者たちを、できるだけ早く巻き込みましょう
インセプションデッキなど共通認識を協働して作るような方法を使って、一緒に計画づくりに取り組むなど、ビジョンやコンセプトづくりの段階から協働するのも一つの方法です。

そして、早めに移譲しましょう
「どういうことをするのか?」といったバックログは当事者たちでつくるようにし、上からは口を挟まない(口を出すのであれば当事者としてコミットする)くらいの関わり方が必要だと思います。経営陣やマネージャーがこういう覚悟を持てるかどうかも、うまくいくかどうかの重要なポイントです。

理想が高すぎる

ありたい状態や到達地点の理想が高すぎることもよくあります。
現状を十分に把握しないまま検討に入ってしまうと、実効性の乏しい、現実離れした目標を立ててしまいます。「今ここ」の現状を知る活動が必要です。
「どういうレベル感にいるのか」「何を持っているのか」「何ができるのか」など、自分たちが持っている「武器」について、まず知るための活動をします。理想や目標ばかりを見るのではなく、今を少しでも良くすることのできる方法にフォーカスするのも一つです。
Diff(自分たちの変化)は、未来からの距離ではなく、数ヶ月〜1年前の過去からの距離(進捗)でとるようにしましょう。

できないことばかりに目が行く

できていないこと、うまくいっていないことばかりに目を向けてしまうこともよくあります。
ダメ出しのような感じになり、組織変革に対する意欲が減ってしまいます
前述の「理想が高すぎる」状態と組み合わさるとさらに厄介で、組織変革の灯が消えてしまうことにもなりかねません。今できていることを正しく認知する必要があります。
今がすべてダメなわけでは決してありません。今の自分たちのスキルやあり方、やっていること、大事にしていることなどを言語化し、次に訪れる新しい状況に際して何を残すのか、何を保留するのか、磨きあげるポイントなどについて話すというアプローチをとります。
状況が変わっても変わらず必要となるスキルもあります。どんな場面でもできることや変わらないことを洗い出してみるのもいいでしょう。

組織変革における大切なこと

組織変革は、数年かかることもある長いジャーニーです。だからこそ、続けられることがとても大事です。もちろん、うまくいくためにベストを尽くしますが、うまくいくことを前提としてしまうとしんどくなってしまうことがあります。人の営みですから、うまくいかないことも多々あります
私の体験では、5回のうち1回、何かしらの反応があればいいかな、というくらいの感覚で取り組めるといいのではないかと思います。難しいことですが、楽しみながらできるといいですね。孤独感から心が折れることもあるかもしれませんが、そんなときは組織の外に仲間を見つけていけたらいいのではないでしょうか。

後編に続きます