レッドジャーニーと関わるうちに気づいたことが、カオスから脱却する起点になった。
レッドジャーニーが深く関わる前は、どのような状態だったのでしょうか。
当時から、今でも取り組んでいるテーマのいくつかはあって、人数はもっと少なかったです。その結果、誰も拾えていない仕事が結構あって、それを全部私が拾っていました。
毎日の課題やタスクが多く、とても全部は拾いきれなくて悶々とした状態でしたね。メンバーは自分の分のタスクをちゃんとやっているのですが、それ以外の部分がずいぶん残っていて…とてもカオスのような状態でしたね。
今思い出してみると、最初に新井田さんたちのお話をうかがったときは、何が狙いで、どこまでやるのか、誰を巻き込んで、最初の目標をどこに置くのか、そういったことが見えていなかった、まさに混沌とした状態でしたね。
テーマだけ乱立していてひとつひとつが薄かったですね。薄い割に何も決まってないから、あれもこれも決めなきゃいけない。そして、いつも忙しい。そうして手が回らない日々でした。
順序としては、先ほどお話しした「これからの生協」というストーリーが最初にあって、そこから出てきたテーマがいくつもありました。いずれも、生協の描く将来像に結びつくテーマです。
ただ、テーマだけが決まっても、進め方や範囲は決まっていなかったんです。次の一歩を踏み出すにも、現場では決めきれず迷うことも多かったです。当初は、それぞれの計画書から私一人で書かなくてはならなかったのですが、とても書ききれませんでした。
レッドジャーニーさんにプロジェクトに関わってもらうようになったのはちょうどそのころです。
そうでしたね。そこから深く関わるにつれて「何が課題なのか」から始まり、「まずは何が課題かがわからないことが問題ですね」といったことを話すようになっていきましたよね。
市谷さんの話を聞いていくうちに、週を追うごとに整理がついていったことをよく覚えています。「ちょっと先」が見えるようになってきたというか。それと同時に、これを決めていないのに、こっちをやっているのはおかしいんだな、といったようなことにも、気がつくことができました。
今思えば、そこが、カオスから脱却する起点だったと思います。
当初は、それぞれのテーマの目的を訊かれても答えられなかったんですよね。作ることが目的のようになってしまっていました。
ほぼ一人でリーダーとして仕事を進める上で、私たちが関与する前はどのような対策や工夫をされていたのでしょうか。
とにかく、話をすることですね。主要なメンバーとは1日1回必ず話をして、何ができて、何ができないかを聞こうとしていました。毎晩遅くまで残って、それでも「何にも終わらなかったね」というような話をよくしていましたね(笑)
他のメンバーとも話をしてみるとそれぞれに悩みがあって、「人を増やしてほしい」ということもよく言われました。とにかくできるだけメンバーとよく話をして、仲間として一緒にやってもらえるように働きかけていくということをしていました。
それは、我々から見てもよく分かりました。当時から組織の壁を超えてどんどん越境していましたよね。おそらく、情報はいろいろ入ってくるけど、それぞれをどう対処するかの手立てがないという感じだったのではないでしょうか。
「やめるを始める」の新鮮さ。
そのような状況にレッドジャーニーが入ってきて、最初にどんなことを感じましたか。
最初の印象としては、今までお付き合いしてきた人たちとはリズム感が違うので、当時は違和感がすごくありました。驚きました。
市谷さんは「やめることから始める」ということをおっしゃったじゃないですか。そう言ってもらったのは初めてでした。仕事の進め方のリズム感・考え方の違いに触れ、「無理矢理進めたところで終わらない」「良いことはない」と実感しました。
痛みが大きい割に結果が出なかったそれまでのやり方から、「ちょっと引く」というやり方へシフトしてみようというのが、レッドジャーニーさんに関わってもらって学んだことです。「引いて、もう一回攻め方を変える」ということですね。
ですから、プロジェクトの責任者からしてみると、歯がゆい時期はあったと思います。何かを始めよう!としているプロジェクトで、「やめよう」とか「とめよう」とか「ちょっと順番変えます」ということを言ったわけですから。
「いいからやれ」というやり方にも、良い面はあると思いますが、実際そういったやり方をしてきて、なかなか良い結果は出ないことの方が多かったです。
はじめ方は「とにかくやってみよう」で良いとしても、その後、その先をどう進めていくかという「小さな見通し」が伴わないと、継続して結果を出していくことは難しいですよね。
後編へ続きます。