木下さんは現在、株式会社 永和システムマネジメントにてアジャイルコーチとしてさまざまな組織やチームの支援をされています。
木下さんと市谷の最初の出会いは2006年。約16年間アジャイルの現場に携わってきた二人が、書籍『組織を芯からアジャイルにする』をテーマに語り合います。
本の話だけでなく「そもそもアジャイルとは?」「現代日本の組織課題とは?」「もっとワクワクする世界は?」 など、内容盛りだくさんの対談です。
木下さんとの思い出
市谷聡啓(以下、市谷):私たちが出会ったのは、2006年開催のイベント「XP祭り」でしたよね。
木下史彦(以下、木下):はい。私が永和システムマネジメントに入社したのもその年でした。当時、XP祭りでの発表者枠に一つ空きがあり、せっかく永和に入ったから社外で何か話そうかなと思ったんです。それをたまたま、papanda(市谷のチャットツールやSNS等でのアカウント名)が聞いていた、と。
市谷:その時、私はXPを勉強し始めた頃でした。木下さんが「顧客重要」という言葉を何度もお話しされていたのを覚えています。木下さんだけが、周囲の人たちと何か違っていて「XPごっこ」というキーワードを使っていました。XPが大好きな人とも違った感じだったんですよね。木下さんのお話を聞いて、もう一度しっかりXPと向き合おうと思ったので、とても記憶に残っています。
その後、DevLOVE の前身として、木下さんと角谷さんが監訳された『アジャイルプラクティス』読書会を社内で開いた際など、お世話になりました。そして2011年、私が永和システムマネジメントに入社することになったんですよね。
木下:市谷さんが入ってくると知った時、会社がいろいろと変わるような気がしました。その時は会社が上野にあったので「上野にパンダが来る」とみんなで盛り上がっていましたよ。市谷さんと一緒に行ったプロジェクトの中で、10年くらい価値を創造し続けているものがあります。アジャイルは継続して価値を生み出すんですよね。
市谷:アジャイル、本当にすごいですね。2011年、木下さんは「価値創造契約」を発明されました。当時「アジャイルを受託開発でどうやるか」は永遠のテーマでした。「スコープをそんなに崩すのか?」「どうやってやるんだ?」と。そこで、発想を変え、価値創造契約でやれるようにしたんですよね。
木下:価値創造契約を発表した翌週、デブサミで登壇のオファーをいただいて、市谷さんとお会いしました。市谷さんが応援しに来てくれたように感じて、その時の記憶が鮮明に残っています。
市谷:木下さんは日本におけるアジャイルの歴史の1ページを作られていますよね。
最近の木下さん
木下:スクラムマスターのコーチとしてチームや組織を支援するケースが多かったですが、コロナ禍以降は流れが変わってきています。最近では、スクラムマスターのコーチが社内にいて、そのコーチの方々へ私が講習を行っています。また、社内のアジャイル推進組織への支援もしています。
市谷:近頃の関心ごとは何ですか?
木下:さまざまな現場で支援していても、人が成長して意識が変わっていくようにしないとうまくいかないので、自分の関心がどんどん「人」に寄ってきています。意識の発達で言うと「スパイラルダイナミクス」に興味があります。アジャイルコーチとして人間の意識の発達を支援できないかな、とよく考えています。
木下さんから見た『芯アジャイル』
市谷:それでは、今日のテーマに入っていきたいと思います。『芯アジャイル』のご感想はいかがでしょうか?
木下:よかったですよ。市谷さんの著書は全部「ぼっち感」があると感じていて、それが市谷さんらしいなと思っています。印象的だったのは「自分一人から始める」話。「アジャイルの最初の回転はあなた自身で作らなければいけない」とありましたよね。そのあたりの話がずっと記憶に残っています。
「組織を変えて行こう」という話をする時、組織構造の話になったり、制度や人事をどうするかという話になったりします。そうではなく、この本ではもっと足元の話をされていますよね。「誰か一人が始めなければならない」と、ズバッと言っています。そこが非常に共感できました。
市谷:ありがとうございます。
木下:私が誤解していたのか、市谷さんの考えが変わったのかはわからないのですが、一点確認したかったことがあります。『カイゼンジャーニー』では「一人でも始められる」というメッセージを発信していましたよね。それは、妥協としての「一人」なのかなと。「チームや組織ではできないから一人でやるんだ」と、妥協の副産物としての「一人でも始められる」。
でも『芯アジャイル』を読んで思ったのは「一人で始めないといけない」なのかな、と思いました。「最初の回転は一人で回さないと誰も一緒に行ってくれない」と、ある種の悲壮感があって「何者でもない、自分がやる」というメッセージですよね。そこが印象に残りましたし、共感したポイントです。
市谷:確かに、二つの本ではそこの意識が違うでしょうね。『カイゼンジャーニー』は、ネガティブというか、そうぜざるを得ないイメージ。一方『芯アジャイル』は、自然に、むしろ一人で始めるのが最初の一手だろう、と書いているつもりです。
木下:さまざまな現場をご支援していますが「変えていくんだ」という一人がいないと、やっぱり全然変わらないので、そこは大事に思っているところです。
市谷:一人で始めることもそうですが、冒頭のお話にあったような2006〜7年頃、諸先輩方がおっしゃっていたことから感じ取ったものが自然と本に出てきている気がします。4章の最後、鉄道関連のキーワードを使って見出しを付けたのも、これまでのご縁からです。収まるべくして収まったなあと思っているので、まさに皆さんのおかげです。
木下:4章もよかったですね。組織の一人一人が行動を作り出さなければ、組織が蘇らない。「一人」という言葉が気になりました。
もう一点聞きたかったのは、キーワードとして「関心」がたくさん出てきますよね。組織の話を「関心」というキーワードを使って表現した人は、これまであまりいないと思っています。その言葉がどこから出てきたのか、聞いてみたいです。
市谷:関心の話は、現場や組織を支援する中で感じ取ったものです。もともとお互いに関心がなかったり、薄かったりするから組織がバラバラで、一つの部門で目の前の仕事をこなしていけば、成り立つ。その在り方があったとしたら、その結果がこれです。
例えば、組織アジャイルをやる時「見える化しよう」「バックログをあげよう」とする時、バラバラなんですよね。グループや人ごとに取り組んでいる仕事が全然違うから、バックログを出しても共有になりません。「ああそんなことやっているんだ。へえー」で終わってしまい、絡みようがない。だから、ただ単に見えるようにしても、お互いに関する情報も不足しているし、何を目指してるのかもよくわかっていない。そんな状況の中でやっていても、何もよくならないんです。何が足りないんだろう? と考えた時、お互いがやっていることや考えていることへの関心だと思ったんです。
ただ、その関心を維持できるかは簡単ではない。現場、マネジメント職層、経営層、それぞれで関心の粒度が違っています。現場と経営が直接話したらいいのでは? と考えても、関心の粒度が全然違うんです。同じテーマであっても、現場は現場の関心、経営は経営の関心になります。そこを繋いでいかないと、組織でやっている意味がなくなってしまいます。
木下:関心というキーワードを示しつつ、でも、方法論について語ることなく「どう頑張るかは各自で考えて行こうよ」と、言い切っているところが潔いですよね。
市谷:人と人の繋ぎ方などは各現場で考えるとして、関心に着目することと接触回数を意図的に作れるかが大事だと思っています。組織アジャイルを進める時「ああそういうことをやるのね」と認識を合わせても、みんな忙しいので時間が経てばみんなたちまち離れていってしまいます。アジャイルの回転でもって、人と人の接点を作るのが一つの手立てだと考えています。
木下:『芯アジャイル』には、明確な答えや事例が書いてあるわけではない。でも、今のような話を聞いて、自分がやりたいことと市谷さんが考えていることの差分を取って「自分ならこうしたい」と考えられる人が読むと、すごくいいかなと思います。少し上級向けのような言い方をしてしまいましたが「わかると面白い」という本ではないでしょうか。
そもそも「アジャイル」とは?
市谷:本のテーマが「組織」と「アジャイル」なので、前段として「そもそもアジャイルとは?」をお話ししたいです。木下さんにとって「はじめてのアジャイル」とはどんなものだったでしょうか?
木下:一番最初に私が関わったプロジェクトでは「仕事のやり方を自分たちで決めていいんだ」と、かなり好き勝手にやっていました。当時は、部屋の壁にダーツの的を掛けて、ダーツの真ん中に当てた人から順番にタスクを取っていました。その壁の裏側が、役員会議室。アウトローというか、勝手にいろいろとやっていて、そういうのがアジャイルだというイメージでした。
その後は、顧客にアジャイルをなかなか理解してもらえなかったり、「全部作ってくれ」と先方から言われたりしました。最終的に折り合いが悪くなって炎上したこともあります。そういった難しさがありつつ、これからどうして行こうか? という時に、新しい契約形態「価値創造契約」を考えてみました。
市谷:そのような経験を経て、アジャイルはソフトウェア開発をどう変えたと思いますか?
木下:よく考えてみると、落ち込む時もあります。10年前とあまり変わってないと思う部分もあるんですよね。コーチとして組織に入っていても、頂く質問は契約や品質の話など、昔からよくある質問と変わっていません。
一方、思い返してみると、私の立場は定点観測なのかなと思っています。10年前に「今から始めよう」という人と、今「これからやって行くんだ」という人は、悩む内容はあまり変わらないのではないでしょうか。10年前に通過した人は、もっと先に進んでいるし、今日から始める人は、10年前の人と同じような部分で悩んでいてもおかしくありません。
今の人たちはアジャイルという「高速道路」ができているので、昔の人ほど苦労せずに行けるようになったのかな、とは思います。周りの理解が最初からある程度あるのが、すごくいいなと思いますね。
市谷:最近 IPA が出したDX白書を読んだ時「開発部門でアジャイルをやっているか?」という質問に、あまり手が上がっていませんでした。10〜20年前と変わらない感じなので、これでは日本でアジャイル開発が広まったとは言えないと思いました。歴史の生き証人として、木下さんはこの20年、日本のアジャイルは変わってきていると思いますか?
木下:増田さんがゲストの回 では「ソフトウェア開発におけるアジャイルの差分が取れるようになっている」とおっしゃられていましたね。その差分は何なのかと考えていました。
最近、私はドラッカーの本が好きでよく本を読むのですが、ドラッカーいわく「知識労働者にとって大切なものは、敬意を払われること」だと。自分個人に対して敬意が払われることも重要なんだけど、自分の職業に対して敬意を払われることが特に重要だ、と言っています。
ソフトウェア開発者に対するリスペクトは、この20年間で大きく変わっている気がします。これは XP が目指してきたところでもあると思いますし、 XPは プログラマーの地位を向上することによって、いろいろな価値観を変えようとしました。顧客とプログラマーが対等に話できるようになり、顧客が言っていることを押し返して開発のバランスをとっていくことなどが可能になりました。
アジャイルがソフトウェア開発やソフトウェア開発者の地位を向上させて、敬意を払われる職業になってきているのをすごく実感しています。そうじゃない現場もあるかもしれませんが。DIFF(差分)をとると、以前とまったく違うと思います。これまで、プログラマーに対する一般的なイメージは「仕様書を見ながらキーボードをカタカタと叩いている人」だったと思いますが、今は違います。モブプロをしてみんなで知恵を出しあったり、さまざまなアイデアを出し合います。どういったものを作るか、なぜそれを作るのか、なぜ我々はここにいるのかといったところから、プログラマーが考えるんですよね。
現代日本の組織課題とは
市谷:さまざまな現場をご支援されている木下さんですが、一番印象深い組織課題は何でしょうか?
木下:「一人から始める」という話がありましたが、組織の中から「自分が始めていくんだ」と思い余って行動する人が出てくるかどうかが重要だと思っています。そのような人が出てきづらい状況になっているのが課題だと感じています。私が組織のご支援をしている時「これって誰がやりたかったの?」と迷子になる瞬間があります。これ、私がやりたいことになっていないか? と。
市谷:いつの間にか、私に判断を求めてきているじゃないか? という状況はあります。
木下:組織の中で素質がありそうな人を見つけて、焚きつけ、勇気づけることも、自分の仕事なのかなと最近思っています。
市谷:前回のイベントで関さんは「組織の中にいる『変わった人』を見つけて、この人のやっていることはすごいんですよと周囲にわかるように伝える役割が必要なのでは」とおっしゃっていました。
以前、XPの文脈だったと思いますが「組織の中でチアリーダー的な役割があるのでは」という話もありました。お互いに関心がなく、分断がある組織内ではそういう役割が明示的に必要なのではないかと思っています。組織アジャイルにおけるスクラムマスターの役割なのかもしれません。
木下:関心が薄れてくると、人をエンカレッジすることができなくなります。「この人と話したら元気が出た!」みたいなことがあるので、スクラムマスターの役割に近いでしょうね。
「組織」と「アジャイル」
市谷:ここまでお話しいただいた2つの話題を繋げてみます。現在の組織の状況に対して、アジャイルがどう活きるのか、組織を救うのか、についてはいかがでしょうか。
木下:「組織」も「アジャイル」も抽象的です。「アジャイルが組織を救う」と言うと、結構モヤモヤしてしまいます。組織をどうにかこうにかするのは、常に人です。組織は人の集まりなので、アジャイルが救うわけではなく人が救うんです。
やはり、人が人に関心を持つことは必要だと思いますね。アジャイル開発やアジャイルな仕事の仕方をすることによって、お互いにもっと関心を持ち、一人でやっていたことをチームで共有しながら進めていく。人に決められていたことを、自分で決めていき、組織の成果に対して自分が主体的に参加していく感覚を持つことができます。組織をアジャイルにする前に、自分がアジャイルになっていくことによって、考え方や人との接し方が変わっていくと思っています。そのような人たちが集まって組織を運営していくといいのかもしれません。
市谷:XPの「ソーシャルチェンジ」を思い出しました。人との間合いの取り方や自分の振る舞いから変えていって、相手との分断を乗り越えていくのが大事なのでは、というのがXPのメッセージだと言われていると思います。
プログラマーは、分断が起こりやすい職業。昔のステレオタイプでは、自分の中に閉じこもって人とのコミュニケーションを遮断してやっていくイメージです。プログラマーもそういう節があったと思います。「それでは良い仕事ができないよね」と、XP はソーシャルチェンジという言葉を使ってメッセージを伝えていました。
それが、今の木下さんがおっしゃった「一人一人がアジャイルとなり、そこから変わっていくんだ」というのは通じると思いました。
木下:はい、XP の考え方ですよ。『芯アジャイル』を読んでいた時も「自分から始めるんだ」がたくさん出てきたので、ずっと XP を意識しているんだなあと思っていました。それが根底に流れていますよね。
もっとワクワクする世界とは
市谷:ここからは未来の話をしたいです。木下さんがワクワクする世界とはどんなイメージですか?
木下:「組織アジャイルな状態」が、ワクワクする世界だと思います。『芯アジャイル』の中に「『アジャイル組織』では、その組織としての完成形をイメージしてしまう。完成形ではなく、過渡期状態のことを『組織アジャイル』と呼ぼう」とありました。これから辿り着く場所としてワクワクする世界があるというより、常に過渡期を行っている状態がワクワクすると思っています。
カイゼンは、全部カイゼンできてプロブレムが全部なくなったからゴールインではない。常に回転を続けて、どうやって課題を解決していくのかがスクラムです。常に過渡期であり、その中でどんな人に出会えるかが大きいと思っています。アジャイルに出会えたから、今こうして市谷さんとお話しできています。この瞬間が楽しいんです。
市谷:組織アジャイルの話に言及していただいて嬉しいです。木下さんはワクワクと出会い続けられていますか?
木下:アジャイルコーチとしていろいろな組織で多くの人と出会うので、それがワクワクに繋がっています。
木下さんがあげる「シン」の一字
市谷:最後に、木下さんが『芯アジャイル』の「シン」に漢字をあてはめるとしたら、どの字になりますか?
木下:「心」の「シン」ですね。これは、アリスター・コーバーンの「守破離」の文脈からとりました。守・破・離と進むと、その先に「心」があります。「守破離」でよく言われるのは、本当の意味を守ってから、それを破り、やがて離れてマスターになっていく話。漢字で「守破離」を書くと、どんどん画数が増えて「離」が一番複雑な漢字になっています。
「心」は「シン」と読む漢字の中で、おそらく一番画数が少ないかと思います。「守」よりもシンプルで画数が少ない。組織のアジャイルについて話をすると、どうしても複雑に考えがちです。でも『芯アジャイル』はシンプルな内容が語られていました。関心を持ち、接触回数を増やす。ベーシックなところに立ち戻る話が書いてあると思ったんです。そこで、この「心」という漢字を選びました。
最後に
木下:本当に『芯アジャイル』は共感する部分ばかりで、良い本だなあと感じました。
市谷:ありがとうございます。2007年に木下さんが世に送り出した本『アジャイルプラクティス』を読んで感銘を受けた papanda が、十数年なんとか頑張ってきて今回この本を書き、ご本人に「よかったよ」と言っていただけるなんて、よくできた話だなあと思ってしまいます。
木下:そう考えると、差分がすごいですね。今日は熱い話ばかりで、市谷さんはやっぱり市谷さんだなあと思いました。今後も一緒にやっていきましょう。
市谷:これからも先輩でいてください。どうもありがとうございました。
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