新しい服を着こなすには。
市谷:アジャイルについて、何か別のたとえをまじえて説明できないかと考えていたのですが、アジャイルというのは仕事のスタイル、進め方のうちの一つですよね。今までのやり方と、ちょっと違うかもしれない。それは、たとえるなら新しい服を着るようなものではないでしょうか。そこで、「さて、どう着こなすか」という話ができると思います。
どういうことかというと、服を着るとき、人に合わせて服を作るのではなく、大抵は服に人が合わせますよね。自分に合っているかどうかは分からないけど、「袖だけ通してみるか」と試着してみたり、あるいは、「これからこういう服が必要だろう」ということで、がんばって着こなしてみることもあります。アジャイルも、とりあえずやってみる場合と、目的のためにがんばって取り入れる場合とがあると思います。
いずれにせよ、「よく分からないけど着せられる」という感じではぎこちないですよね。服が自分に合っていないと動きづらいし着続けられません。そこで、着こなすためにはコーディネーターという役割が必要です。いろいろと世話を焼いてくれるコーディネーターにあたるのが、スクラムマスターやアジャイルコーチです。
彼らのアドバイスのもと、恐らくまずは体のサイズを測りますよね。アジャイルで言うと、自分たちの特長を把握するということです。アジャイルに長けた経験者もいれば、何も知らない初心者もいる。だから、自分たちの特長をまず自分たち自身で知らなくてはなりません。服の袖丈を詰めたり裾上げをするように、アジャイルにも調整が伴います。服もアジャイルも、調整度合いは千差万別、十人十色ですから、自分自身で決めざるを得ません。そのときの目安になるのは「この服をずっと着ていられるかな」ということ。「持続できるかどうか」を確認して、着こなしていただきたいと思います。
もう一つ、服にたとえるとこんな話もできると思います。服にはトレンドがありますが、そういう時代のムードや機運を作るのもコーディネーターの役割と言えます。アジャイルでも、組織やチームが必ずしも諸手を挙げて賛成ということはありませんから、抵抗感のあるなかでも前に進めるように機運をつくる役割が必要です。スクラムマスターの手腕が問われる場面ですね。小田中さんは、きっとこれまでそういったことをしてこられたのですよね。
小田中:そうですね。時代を作るというと大げさですけど、チームの現在地に合わせて導入の仕方を変えることは、ずっとしてきています。例えば、いきなりスクラムフレームワークを全部導入したり、それまで個別に仕事していたところを、いきなりモブプログラミングにしようとしても、決してうまくいきません。それぞれの身の丈を見て、それからメンバーの置かれた状況、今起きている課題を捉え、その上でフィットしそうなものを提案していくのがいいでしょうね。
市谷:2000年から2010年頃を振り返ってみると、「こうじゃなきゃアジャイルじゃない」というこだわりが今より強かったように思います。初期の頃は「ミミを揃えないとアジャイル、XPじゃない」という風に考える人が多かったと思います。
アジャイルネイティブ世代が「普通」と思うことを、ふつうにすればいい。
市谷:2020年代に入り、アジャイルはさらに変化しています。ポジティブな面を挙げるならば、私はまずDXを挙げたいと思います。経営側の人たちと現場にいる人たちが、揃いに揃って「今のままじゃいけない」「何か新しい取り組みをしなくては」「アジャイルに取り組んでみよう」と言い合っている。この20年間、アジャイルに取り組んできて、これほどアジャイルを伝えやすく、理解されやすい状況はありません。言うなれば、四半世紀に一度のチャンスです。
もちろん、まったくそんな状況ではないという企業もまだあるでしょうが、20年前と比べれば随分変わってきています。伝統的で大規模な企業のDX支援をしていても、その変化は身をもって感じます。DXを一つの目印とすることで、組織のあり方や今までとは違うやり方について考え直せるのではないでしょうか。
もう一つ挙げたいのが、組織の新陳代謝です。”新しい時代を創るのは老人ではない”、ですね。どちらかと言えば古い方の人間として言わせてもらうと、時代は変わりつつあるのですから、いつまでも偉そうなことを言って留まっている場合ではないのです。私たちのような古い人がいつまでも一線でがんばっていたら、次の世代の人たちが取り組めたであろうチャンスや、失敗から学べたはずのチャンスを奪ってしまう可能性があります。自分では「まだまだやれる」と思っても、ちょっと視点を変えて身の振り方を考え直さなくてはいけません。
過去の経緯を知らない人たちの割合は日々増えていきます。一方、20年前からアジャイルに取り組んでいる人の割合は減少しているのです。この割合が常に変化するなかで思うのは、今、社会人になって開発を始める「ネイティブの人」と、20年前に歯を食いしばりながら炎上プロジェクトをこなしてきた人とでは、「普通」というものが違って当たり前だということです。今、一線を担うネイティブの人たちが思う「普通」を、ふつうにすればいいんじゃないかなと思います。
DX白書2021に見る、これからのミッション
市谷:これからどうなるのかということを、もう少しだけお話させていただくと、DX白書2021ではDXの取り組みについて日米の違いを説明してくれています。ぜひ読んでみていただきたいと思います。
ちょっと抜粋しますと、「アジャイルの原則とアプローチ」というデータがあります。開発ではなく組織の運営へアジャイルを適用しているかどうかのアンケートを取ってくれているのです。これを見ると、随分差があることが分かります。例えば、「全面的に取り入れている」と答えた割合は、日本のIT部門では8.2%、かたや米国では53.4%です。経営企画や事業部門を見ても、その差は一目瞭然です。20年間アジャイルに取り組んできた身としてはショックな結果です。
この差をよく映し出しているのが「評価や見直しの頻度」というデータです。ふりかえり、むきなおりの頻度のことで、縦軸を見ると、CX、EXの向上推進、新規事業への予算配分、事業ポートフォリオの作成、戦略の見直しということで、明らかに開発ではなく組織の戦略的な観点、運営の考え方の観点が並んでいます。そういった観点で、どのようにふりかえりをし、あるべき方向へ向き直していくのか。それをどのくらいの頻度でやっているかというと、図のようになっているわけです。例えば、CXの向上推進について評価や見直しを毎週行っていると答えた割合が、米国は35.2%、日本は2.1%です。ちなみに、日本のボリュームゾーンは評価対象外です。つまり、1年に1度も見直しをしていない割合が50%を超えています。これだけ見直しをしない組織と、かたや毎週ふりかえりをして、学んだ結果をもとに意思決定を繰り返している、つまりアジャイルをしている組織との違いを考えると、とてもじゃないけど勝ち目がありません。これが、日本の現状なのです。
この状況を、なんとか変えていかなくてはなりません。DXは経営から現場まで組織の視線を集められる「目印」だと申し上げましたが、この言葉をうまく使って組織のあり方、考え方、行動を変えていくことがDXのコアなミッションだと思っています。日本の組織が、四半期に一度ではなく、毎月、毎週、重要な観点についてふりかえりをし、あるべき方向へと向き直っていけるようにしていかなくてはなりません。デジタルサービスを作ったり業務をデジタル化したりすること以上に、こういうことが重要です。なぜなら、「正解」は永久に正しいわけではなく、10年、20年経てばきっと変わっていくものだからです。新型コロナウイルス感染症の拡大により起こった急激な変化を見ても、組織がこういう考え方や行動をとれるようにしていくことは、価値あることなのではないでしょうか。