7月21日、レッドジャーニー代表の市谷聡啓による新著「組織を芯からアジャイルにする」が刊行されました。ソフトウェア開発の現場で試行錯誤を繰り返しながら培われてきたアジャイルの本質的価値、すなわち「探索」と「適応」のためのすべを、DX推進部署や情報システム部門の方のみならず、非エンジニア/非IT系の職種の方にもわかりやすく解説しています。アジャイル推進・DX支援を日本のさまざまな企業で手掛けてきた市谷による、〈組織アジャイル〉の実践知が詰まった一冊です。
 前作「デジタルトランスフォーメーション・ジャーニー」に続き本書のレビュワーとしてお力添えをいただいた草野こうき氏と市谷が対談し、日本の組織の「今ここ」と「芯アジャイル」について語りました。組織が芯からアジャイルになるとはどういうことなのか。「芯アジャイル」へと踏み出した先に見えてくる未来像とは。市谷による講演「アジャイルの回転を、あなたから始めよう。~組織を芯からアジャイルにする26の作戦~」と合わせてご覧ください。

アジャイルの回転を、あなたから始めよう。
~組織を芯からアジャイルにする26の作戦~

市谷聡啓 Toshihiro Ichitani

株式会社レッドジャーニー 代表 / 元政府CIO補佐官 / DevLOVE オーガナイザー

サービスや事業についてのアイデア段階の構想から、コンセプトを練り上げていく仮説検証とアジャイル開発の運営について経験が厚い。プログラマーからキャリアをスタートし、SIerでのプロジェクトマネジメント、大規模インターネットサービスのプロデューサー、アジャイル開発の実践を経て、自身の会社を立ち上げる。それぞれの局面から得られた実践知で、ソフトウェアの共創に辿り着くべく越境し続けている。
訳書に「リーン開発の現場」(共訳、オーム社)、著書に「カイゼン・ジャーニー」「チーム・ジャーニー」「デジタルトランスフォーメーション・ジャーニー」(翔泳社)、「正しいものを正しくつくる」(BNN)がある。7月21日、新著「組織を芯からアジャイルにする」をリリース。

なぜ、アジャイルが組織に必要なのか?

DXの文脈でいろんな組織に関わらせていただく中で垣間見えるのは、広く日本の組織に共通する課題です。長年にわたって拠り所にしてきた「”最適化”への最適化」の呪縛が非常に根強く、業界や規模の違いを越えた横断的な課題となっています。組織の活動は効率化しないわけにはいきませんが、行き過ぎると、迷わないようにするために選択肢を絞る「標準化」が進み、やがて思考停止に陥ったまま新しい発想や選択肢が出てこなくなっていきます。組織を取り巻く環境はどんどん変わっていく一方で、変わらず「”最適化”への最適化」に終始していては、変化に適応できません。

そんな組織に必要なケイパビリティとして、探索と適応があります。選択肢を絞る「標準化」に対して、広げるための活動で、具体的には、仮説検証アジャイルの動き方や仕組みが求められています。組織がアジャイルに取り組む際、ソフトウェア開発で20年にわたり培ってきたアジャイルの知恵が役立ちます。

「アジャイル」という言葉一つとっても、そこには様々な意味合いがあります。様々な「アジャイル」の概念を構造的に表したアジャイル・ハウスでは、1F部分にチームで仕事をするための「アジャイル」があります。見える化やカイゼンなどベーシックな活動が中心で、そこから2Fへ上がると、探索と適応の活動を支える「アジャイル」があります。さらに上の3Fにあるのが、組織運営のための「アジャイル」です。そして、これらの前提となる基礎にあたるのが、「アジャイルマインド」の理解です。このように、組織で取り組むアジャイルには幾つかの段階があり、自分たちにとっての「アジャイル」がどこを示しているのか、現状を踏まえてどこを目指していくのかの認識を合わせることが必要です。

組織を芯からアジャイルにする26の作戦

どこからどこへ行くのか」を表す「From-To」という概念は、書籍『組織を芯からアジャイルにする』でも中心に据えてお伝えしています。

「To」にあたる「できるようになりたいこと」は、事例も多く、すぐにたくさん出てくると思います。問題は、「To」だけを先に置いて進もうとすることです。「From」と「To」の距離感を測るためにも、「どこからそこへ向かうのか」、現状を表す「From」が重要です。ここを置き去りにしてはDXの活動は立ち行きません。

「”最適化”への最適化」の状態を「From」として、「組織でアジャイルになっていく」という「To」へ辿りつくには、図のような変遷を辿ります。書籍ではフラットに並べましたが、ここではより分かりやすいように分類を加えてみました。幾つかをピックアップしてご説明します。

最初の入り口は「組織が変わる」の切り口です。2つの変革を同時に取り組む(両利きの変革)というのは、組織が提供する価値の変革という言わば「組織の外側にある変革」と、そのための組織のあり方の変革、つまり「組織の内側にある変革」の両方が同時に求められるということです。

また、組織を「一人の人間」のように見立てるというのは、頭で考えて動き出すまでのタイムラグを少なくし、一人の人間のように動ける状態を目指すということです。どうすればいいのかというと、一人から、手元からまず始めます。今まで経験のないことに集団で取り組もうとするとき、自分一人の手元から始めることでスタートが切りやすく、失敗したときのリカバリーもききます。そうして学んだことを基にして、チーム、さらに組織へと広げていく考え方は、書籍『カイゼン・ジャーニー』で展開したものです。

「組織をアジャイルにする」の入り口に立ち、具体的に何をすればいいのかというと、7つの原則8つのバックログが組織を変える力になります。組織アジャイルを構造化し、チームや部門で取り組む仕組みを組織内で縦横に展開していくための考え方や方法を、書籍「組織を芯からアジャイルにする」では詳しく解説しています。

「重ね合わせ」「ふりかえり」「むきなおり」の段階をたどる

ふりかえり」は皆さんよくご存知だと思いますが、取り組んでみるとうまくいかないことがあります。理由は様々ですが、一つには、部門でスクラムに取り組むとき共通で目指す目標が「あるようでない」という状況があります。一人一人取り組んでいることが違い、その差が大きい場合、まずはお互いの状況を理解するところから始めないと共感が難しく、一体感を持って活動することはできません。

そこで「重ね合わせ」です。バックログとして可視化をして、それを手掛かりにお互いの状況を理解し合い、フィードバックが出せる状態へもっていきます。状況を重ね合わせるように、お互いを理解するための「スプリントプランニング」や「スプリントレビュー」といったミーティングを挟み込むことから、まず理解していく必要があります。そうしてお互いのしていることが判ってきてから「ふりかえり」を始めていきます。

その先の「むきなおり」では、今後の方向性を見直し、ゴールを捉え直します。共通のゴールを見出した上で進めていき、なおかつ見直して再定義するという段階が必要です。

それぞれが捉える時間軸は、「重ね合わせ」は今現在、「ふりかえり」は過去、「むきなおり」は未来です。まずは現在から始め、徐々に時間軸を広げていくイメージです。

組織アジャイル適用7つの原則

チームや一つの小さな部門から、組織へアジャイルを広げるために必要な7つの原則があります。

  1. 小さな勝利を手にする
  2. 相手に時間軸にあわせる
  3. 傾きをゼロにしない
  4. アジャイルから始めない
    仮説検証から始める
  5. その場に居る人達で始める
  6. 勝てるところまで戻る
  7. アジャイルを連鎖させる

〔傾きをゼロにしない〕

組織の中で広げていくとき、思い通りになることはほとんどありません。良い取り組みだと思っていても、なかなか伝わらないと気力が衰えていってしまいます。そこで取り組みを完全にゼロにしてしまうと、再スタートするのが難しくなります。組織の取り組みは一度烙印が押されると挽回するのが難しく、本人がやる気を取り戻すだけでは再スタートはできません。あくまでもゼロにしないことが重要です。具体的には、時間を置く、時間をかけるということです。行動量や頻度を敢えて下げ、先送りするという方法も含めてコントロールしていく必要があります。

〔勝てるところまで戻る〕

進めていってうまくいかないこともままあります。そんな時は、前に進むだけではなく一旦範囲を絞ったり、内容のレベル感を下げたり、うまくいくと感じられるリズムや状態を取り戻してから、もう一度進むということを意図的にしましょう。突っ込んでいくだけではどうにもなりませんから、勝ち筋が立つところへ敢えて一旦退いてハードルを下げます。私自身もこのようにして今までやってきましたし、必要なスタンスだと感じます。

アジャイルCoEの8つのバックログ

草の根的な活動からアジャイルを組織に広めていくには、可能であれば「アジャイルCoE」を設置するといいでしょう。組織横断的な活動をスムーズに進めるためには、大義名分や拠り所となるミッションが必要です。名称が違ってもいいですし、難しい場合は順序が逆でもいいと思います。まずは小さな活動を積み上げながら横断的に組織内で理解を求めていき、あらためて組織化するという順番でもいいでしょう。アジャイルCoEで取り組むべき8つのバックログがあります。

  1. 組織アジャイルの実践ガイド作り
  2. 教育コンテンツ作り
  3. 社内コミュニティ作り
  4. 社外への発信
  5. 組織理念との整合を取る
  6. 実践の伴走支援
  7. 体制の拡充
  8. 学びの蓄積

〔組織アジャイルの実践ガイド作り〕

アジャイルについて知見のない状態から広めていくには、理解のベースとなる小さなガイドが必要です。直接話して伝えることも大切ですが、そこから詳細を知りたいときのリファレンス先としてガイドがあるとより理解が深まります。行政の場でも「アジャイル開発実践ガイドブック」を作成し同様の作戦をとっていました。

実践ガイドでは、言葉の選び方や構成をそれぞれの業界や組織に合った文脈に整えるとより伝わります。スクラムガイドを読んで理解してくださいというのは、開発以外の業務に就いている人にとっては特にハードルが高い場合があります。

また、このガイドは標準ではなく、あくまでも最初の一歩、二歩を進むために必要な知識を伝えるものです。標準を目指して作りすぎると、内容が重すぎて受け入れられない、実践できないという問題が起こります。本家のスクラムガイドも日本語版は20ページ以下の小さなものです。足りないくらいでちょうどいいのです。

〔教育コンテンツ作り〕

ガイドの「次」を備えるべく、まずは基礎的な研修を用意します。基礎研修以上に重要なのが管理職研修です。現場で働く人たちが今までにはなかった取り組みを始めるわけですから、上長の理解がなければ進みません。何を大事にしているのか?どういうことに取り組むのか?といった点に関して、管理職はよく知っておく必要があります。そして、組織でアジャイルを広める役割を担う人を養成する研修があると理想的です。大きな組織であるほど、広げる側の人間が圧倒的に足りません。こういう研修を作り始めている組織もありますが、確立している組織はまだ決して多くはありません。

〔社内コミュニティ作り〕

社内コミュニティの例として、株式会社リコーの「みんなのデザイン思考とアジャイル」があります。大きな組織ではそもそも「内部の隅々にまで知らしめるチャネル」自体がない場合がありますから、むしろ外部経由で内部に伝わるチャネルの形成が期待できます。また、外へ発信するということは、内部でのコミットメントや覚悟にもつながります。

組織アジャイルの基礎を作る取り組みについてお伝えしましたが、ここから徐々に難易度は上がっていきます。ぜひ、書籍を片手に取り組んでいただけたらと思います。

書籍
shin-agile-topics

〔対談〕組織を芯からアジャイルにする。組織の「今ここ」と、「芯アジャイル」へ向かうために大事なこと

草野こうき 氏

研究テーマやサービスコンセプトの構想において、リサーチ結果や議論結果を構造的に整理して洞察を見出すことが得意。人間中心デザインの研究からキャリアをスタートし、研究成果を活かしたデザイン・コンサルティング業務を経て、現在はUXリサーチャーとして活動している。学術と実践の両輪で活動しながら、使い手にも作り手にとっても良いサービスデザインを目指して越境し続けている。cosou LLC 代表、Ph.D.(SDM学)。
著書「はじめてのUXリサーチ ユーザーとともに価値あるサービスを作り続けるために」

一人では手に負えないことを実現可能にしてくれる「組織」の役割

市谷聡啓(以下、市谷):はじめに、書籍「組織を芯からアジャイルにする」について、レビュワーとしてのご感想をお聞かせいただけたらと思います。

草野こうき氏(以下、敬称略):ソフトウェア開発の文脈では「アジャイル」が今までも語られてきましたが、一方でこの本は「組織にどうアジャイルを当てはめるか」という点に完全に振り切って書かれていて、こういう本がついに登場したのだと思うと非常に新鮮でおもしろかったです。

読み進めてみると、「自分ならどうするだろう?」という疑問が湧いてきたり、「試してみたら何が起こるだろう?」とワクワクしたりして、一歩目を踏み出す勇気をくれる側面と、実践しながら読み返すことができる手引書のような側面と、両方を兼ね備えた本になっていると感じました。

市谷:ありがとうございます。レビューをするのは普通に読んでいただくのとは違いますから、お忙しい中では大変だったのではないでしょうか?

草野:大変ですが、意味のあることだと思っています。論文にも査読という仕組みがあり、ボランティアで行います。その仕組みによって書き手と読み手がお互いを高め合うことができ、ひいては業界全体が良くなっていくというメリットもあります。本のレビューにも同様のことを感じます。

市谷:前作(「デジタルトランスフォーメーション・ジャーニー」)に続いてのレビュー依頼でしたが、草野さんからは常に自分にはない視点でのフィードバックをいただけるので、非常に勉強になっています。今日は、そんな草野さんと、本のテーマである「組織」について語りたいと思います。まずは、漠然とした言葉ですので認識を合わせるところから始められたらと思いますが、「組織」を一言、二言で表すと、どういうものだと思われますか?

草野:難しい問いですよね。一人ではできないことに対して、集合として目標に向かうためのもの、というイメージでしょうか。

市谷:一人ではやり切れないことを実現するために必要な手段ということでしょうか。

草野:そうですね。また、期間という観点では、有期である「プロジェクト」と比べて「組織」はより無期的な集合体という感じがします。

市谷:私は、「一人の人間のような存在」というイメージを持っています。それで何をするかと言うと、草野さんのおっしゃるイメージに近いかもしれません。一人でできることなら一人でやるでしょうから、手に負えないところを実践するための役割が「組織」なのだろうと思います。また、誰かと一緒に取り組むからこそ、やる気が出たり励まされたり、続けられたりすることもあります。能力だけではなく、そうした役割も組織は担っているような気がします。

現代の「組織」の課題とは何だろう

市谷:その人の居た場所やしてきたことによって、組織の見え方は異なるのではないかと思います。草野さんから見た「組織」と、その課題とはどのようなものでしょうか?

草野:前職では国内有数の大きな企業にいましたが、振り返ってみると、市谷さんがお話されていたような「”最適化”への最適化」が組織として非常に大きなメリットになっていたと思います。コストを削減しながら安全に効率よく組織運営ができる「”最適化”への最適化」によって成功しているわけですが、そこには賞味期限(タイムリミット)があります。

技術やサービスをどんなに最適化しても、いずれは破壊的な新しいもの(ディスラプター)が現れて淘汰されていきます。大きな企業では、基本的技術やそれをベースにしたサービス、プラットフォームの研究開発を行い、実用化レベルまで持っていっても、「”最適化”への最適化」という流れの中で不確実性を理由に予算が確保できないことはよくあります。結果として、賞味期限がきても「”最適化”への最適化」をし続けてしまうことになります。

本来は、期限がきたときに次へシフトしていける「探索型」の組織であることが必要なのだと思います。しかし、賞味期限までが長い組織に属していると、個人も「探索」する力が鍛えられず、いざやろうと思っても動くことができませんし、どうやって鍛えていけばいいのかも分かりません。組織の体質と個人の資質、両方が悪い方向へシナジーを発揮して、「”最適化”への最適化」が続いていってしまうように思います。

市谷:掘り下げてみたいのは、なぜそういうことになっているのかというところです。正確には分かりませんが、恐らく1980年代頃からそういった最適化路線への偏りが温存されてきている節があります。それはなぜだと思われますか?

草野:リスクを取ってもあまり得をしない、日本の市場環境による影響は一つあると思います。少しでも経済成長しているのであれば、借金をして投資してでも新しいことにチャレンジしてみようと興味が湧くのかもしれませんが、現実にはリスクを取ることに対してインセンティブが働かない仕組みになっています。

また、高度経済成長期に整備されたインフラがアセットとして20年、30年にわたり維持されてきたことも影響していると思います。今になって、だいぶ皺寄せがきてしまっています。

市谷:車輪が回り始めるとなかなか止まらないように、組織も急には止まれない「最適化モメンタム」のような性質があるのではないかと思います。そもそも景気が悪いところへ、2008年のリーマンショックや震災等の自然災害が続いたことで、経営層は守りの体制を取らざるを得ず、路線変更するタイミングがなかなか訪れなかったのではないでしょうか。近年のコロナ禍によって急激に行動を変える必要性が生まれています。2〜3年経っても適応できない様子には「最適化モメンタム」を如実に感じますが、探索や適応を意図的に取り入れる必要があると多くの人が気付いたでしょうし、路線変更するタイミングをようやく迎えられたのではないかと思います。

草野:たしかに、今回のコロナ禍をきっかけに気付いた人たちもいると思いますが、マジョリティが動くのはもう少し後かもしれません。なぜなら、もう少し身近な日々の生活レベルで困ったことが起こらないと、仕事に反映されない可能性があると思うからです。

例えば、このまま円安が続くとiPhoneはもっと値上がりすると思うのですが、それだけ高くなれば「なぜ国内で作れないのか?」という疑問が生じてくるでしょうし、いよいよ自分たちで探索しチャレンジしようとする人が増えてくるはずです。攻めに転じる傾向は、もう少ししてからより顕著に出てくるのではないでしょうか。

市谷:行き着くところまで辿りついたと思いきや、もう一段、底は深いということですね。

私たちはどこへ向かうのだろうか

市谷:組織のあり方は、取り巻く環境や価値観、世界観によって方向づけられている側面があると思います。これから先の世界がどんな風になっていくのか、それによって組織はどんな様子になっていくのか、これから先の「組織」像についてお話できたらと思います。

私は、組織が必要に迫られて自ら選択肢を増やす方向へ姿を変えていくのではないかと、願望を込めて思っています。一方で現状を見ると、そこに辿りつくまでには結構な距離がありますから、「本当にそうなれるのだろうか」と自問自答しながら日々取り組んでいます。

少しでも探索や適応に近づく活動ができれば、影響度は大きいと思っています。組織が急に頭から爪先までアジャイルに染めあがるというのは現実味がありませんが、「そこに向かう感じ」を得られれば、突破口が開けるのではないでしょうか。実際に大きな成果を感じているかと言うと、そうは言えませんが、踏み出すことはできているのではないかと思っています。組織が自然に変わることはありませんから、加えていく力が必要です。備えていくことが宿題だと思って活動しています。

草野:非常に興味深いですね。たしかに、組織がいきなりアジャイルに染まるのは難しそうですが、新しい企業では比較的探索型のトライができるような個性が生まれつつあります。新しい考え方が取り入れられ始めていることに期待しています。

また、企業に対して、今は利益だけではなく「社会のためになるのか」「持続可能なのか」「楽しいのか」といった観点が問われるようになってきていると思います。そうした社会の声にこたえるには、「むきなおり」をしてバランスを取る必要が出てきますから、単純に最適化するよりは、もう少し個性が活かされるような形で、いい意味で「揺らぎ」のある状態が重宝されるようになるのではないでしょうか。

企業側の実現したいことや社会の役に立つことを、探索しながらアプローチする姿勢そのものが評価されるようになり、その結果としてビジネスもうまくいきやすくなるというように、組織と組織を見る目が育っていくといいなと思います。

市谷:「揺らぎ」ということで言うと、振り子を振るように組織が動けるようになると理想的なのだろうと思います。最適化とオルタナティブの間をいかに揺れ動けるか。個人でも難しいですが、組織ではもっと難しいですよね。そもそも人間が得意としない、極めて難しいことをやろうとしているのかもしれません。

草野:個人の特性を見ても、最適化が得意な人もいれば、新しいことを探索することが得意な人もいますよね。それぞれが両方とも必ずやらなくてはならないわけではないと思います。例えば、最適化が得意な人は最適化が必要なタイミングにある組織を渡り歩きながら働くのも良いでしょう。

組織が振り子のように動くには、個人もまた同様に動けるようにすることが必要なのかもしれません。組織と個人の関係性にもっと流動性があったり、複数と同時に関わることができたり、今は難しいかもしれませんが、そんな仕組みができれば実現に近づくのではないでしょうか。

今、「組織」に必要なこととは

市谷:振り子のように動ける組織を目指すのであれば、仕組みとして備えていかなくてはなりませんよね。個人のその時のやる気や雰囲気で判断するのでは、なかなか変わっていきません。振り子のような仕組みを作るのは難しそうではありますが、最初に備えるべき機能として「重ね合わせ」「ふりかえり」「むきなおり」によって現在、過去、未来を揃えることがあるのではないでしょうか。特に「むきなおり」は、意図的にできていない場合が多いように思います。組織的な動き方として備えることで、課題を乗り越えられるのではないでしょうか。

草野:「むきなおり」はすごく大事ですよね。「なぜ自分たちがそこへ向かっているのか?」「これからどこへ向かうのか?」を、ちゃんと議論した方がいいと思います。会社のロードマップのような大きな単位ではなくても、チームや個人単位での「むきなおり」をもっとできるような仕組みができるといいですね。

一人で始めようとすると心が折れてしまうかもしれないので、声をかけあえるコミュニティや、コーチのような存在がいると、非常に健全に機能していくのではないでしょうか。組織内に作ることも大事ですし、組織の外側にサードプレイスのような居場所を作ってあげることで、そうした動きが加速するかもしれません。

市谷:ソフトウェア開発におけるアジャイルは、まさしくコミュニティというサードプレイスとともにありました。どうすればいいのかさっぱり分からないところからスタートして、当時は社外のコミュニティで仲間と語り合うことがとても励みになりましたし、そこでの知見が活きたと思っています。組織で新しい動き方や働き方を適用していく際には、語り合える仲間が組織内には乏しかったり、いても出会えなかったりすると思うので、組織の外に出て繋がりを得る方が容易かもしれません。

「組織をアジャイルにする」ことの困難さ

市谷:組織でアジャイルに取り組むことの難しさとはどのようなことでしょうか。

草野:アジャイルは一定のサイクルを繰り返しながら高めていくモデルですが、イタレーション(反復)や時間分割といった考え方は、いわゆる昔ながらの組織で働いている人にとっては違和感を感じやすいポイントではないでしょうか。

市谷:たしかに、今までの延長上では理解しにくいかもしれませんね。時間を分割してフィードバックを得ながら進めていくという考え方は、5年前にはもっと理解が難しかったと思います。DXという言葉がある今は、マネジメント層や経営層が「今までのやり方では駄目だ」という感覚を持っています。今まで取り組んだことのない、誰にも正解の分からないことを試みようとしているシチュエーションを、うまく利用できるといいのではないでしょうか。

草野:相手の言葉に合わせてストーリーテリングをして、相手の状況に合わせて始められるようにすることで、新しい概念を受け入れてもらいやすくなると思います。最初から専門用語で攻めようとせずに、小さく動かして試せることが相手にとって「いい方法」として認知されたら、そこではじめて「アジャイル」という言葉を出すくらいの方が、もしかすると困難を乗り越えやすいかもしれません。

市谷:最初に専門用語を使うと期待調整をしなくてはならないので、作戦として最初に説明をしないことはあります。巻き込むためには意味のあるものだと思ってもらわなくてはならないので、良い面を言いますし、一方であまりにも期待を持ちすぎてしまうと合わないところが出てくるので、良いことばかり言いすぎないようにする、その辺のバランスが大変ですよね。

最初から完璧じゃなくてもいい

市谷:最後に、ワクワク感のあるお話ができたらと思います。

「Why」が重要だということはよく言われますし、私の本でも書いています。漠然とした目標では日々の取り組みに落とし込むには曖昧過ぎますから、「何のためにやっているのか?」というところへ立ち返ることが大事です。しかし、立ち返ってみたら意外と数字以外の理由が見つからないこともあると思います。「Whyがない」と気づいた時、どうすればいいのでしょうか。

まずは「ふりかえり」「むきなおり」「重ね合わせ」をして、「今ここ」を捉えるという動き方ができる形になっていれば、最初に置く「Why」は不完全なものでもいいと思います。もちろん、みんなが突き動かされるような動機付けが最初から見つかれば理想的ですが、そう簡単にはいかないからこそ「Why」のないドーナツのような組織ができるわけです。最初から答えを見つけようとして、見つかるまで動けなくなってしまうようでは困りますよね。少なくとも「ふりかえり」「むきなおり」「重ね合わせ」ができる形になっていれば、それを繰り返しながら「Why」を磨きあげていけるはずです。「Why」が最初から見つけられなくても、一歩、二歩が踏み出せれば進められるのだと思います。

草野:ミッション、ビジョン、バリューといったものも、結局はアウトプットの一つに過ぎないのではないでしょうか。大事なのは、かっこいいミッション、ビジョン、バリューが今あることではなく、そこに向き合う習慣だと思います。筋トレでも、立派な目標があることではなく、無理なく取り組み続けられるよう習慣化することが大事ですよね。繰り返し、時には方向転換をしながら徐々により良く変化し続けていく「アジャイル」を習慣化できれば、結果として良くなっていけるはずです。それくらいの感覚でいれば、気軽に楽しくアジャイルに取り組めると思います。

市谷:絶対的なものではなく、相対的に決まっていくものだという言い方もできるかもしれませんね。10年前、20年前に決めたものを守り通すのではなく、伝統を引き継ぎながらも、その時に組織に居る人達が必要と思うものや大事にしたいことを見出しながら決めるものであるという観点を持たないと危うい気がします。定期的かつ持続的に問い続けることが大事で、そうできていれば、今ここでの方向感を再定義することもできるのではないでしょうか。

草野:今が完璧である必要はなく、一週間後に少し良くなっていればいいよねというくらいの感覚で続けていけたら、一年後にはだいぶいいところまで到達できる気がします。そう考えた方が気楽ですよね。伝統だって、結果として守られたのであればそれでいいでしょうし、見直しによって変化したのであれば、それで良かったのだと思います。大義名分を「絶対的なもの」と捉えるパラダイムを止めることが、ワクワク感のある世界に繋がるのではないでしょうか。

市谷:大きな組織や伝統的な組織がそういう感覚を備えていることは、まだ珍しいかもしれませんね。

草野:市谷さんが本の「あとがき」で書かれていたように、先人たちが知恵を絞っていろんないい方法を仮説として書き残してくれています。今は、それを適用する段階なのだろうと思います。「組織を芯からアジャイルにする26の作戦」は、そのためのツールとして非常に参考になるはずです。こういう本が出てきたこと自体が、一つの兆しなのではないでしょうか。

市谷:ありがとうございます。大変ですが非常におもしろいテーマで、話が尽きませんね。

草野:おもしろい時間をありがとうございました。ぜひ、また語り合いたいと思います。

組織を芯からアジャイルにする
コミュニティ「シン・アジャイル」