さまざまなDXの取り組みが展開されている昨今、DXやアジャイルの導入障壁が高い業界の一つとして考えられるのが、製薬業界です。住友ファーマ株式会社様は、2019年12月に欧州のバイオベンチャー企業との提携をきっかけに「データデザイン室」を設置し、グループ全体での新薬の研究開発の効率化、DXを図っています。

レッドジャーニーは、2021年より伴走支援を行っています。今回、アジャイルやDXの推進に取り組んでいる菅原秀和様(データデザイン室 兼 IT&デジタル革新推進部・主席部員)にお話を伺いました。

「厳しい事業環境にある製薬業界で、アジャイルに対してどんな期待があったのか?」「アジャイルを導入するためにどんな取り組みを行ったか?」などを伺うと、そこには「新薬を含め患者さんとご家族にこれまで以上に素早く健やかさを届けたい」「仲間が楽しく働ける環境を作りたい」という菅原様の熱意がありました。

法規制などの条件によってDXやアジャイルの推進が難しい業界において、「現場をより良くしたい」と考えている方におすすめのインタビューです。

(聞き手:レッドジャーニー 市谷聡啓)
※部署、肩書はインタビュー当時のものです。 

新薬研究開発のDXを図る役割としてアジャイルを「動かせる知識」に

市谷:
最初に、菅原さんが所属しているデータデザイン室のミッションや活動内容についてお聞きしたいです。

菅原様:
データデザイン室は、2019年12月のロイバント・サイエンシズ社との戦略的提携をきっかけに設立した組織です。ロイバント社はバイオベンチャーで、2014年欧州で設立され、アメリカ、ニューヨークをベースに活動し、2021年10月にNASDAQ上場を果たした先端企業です。

この提携によって、有力な医薬品の候補とともに先端テクノロジーと高度な技術者を当社は獲得しました。先端テクノロジーや技術者と緊密に連携し、当社グループ全体での新薬の研究開発の効率化やDXを図るのが、データデザイン室のミッションです。

データデザイン室は、大きく4つのチームで構成されています。

一つ目は「DrugOME」というデータサイエンティストのチームで、データの解析などでビジネス課題を解決しています。具体的には、リアルワールドデータを利用した開発化合物の事業性評価、開発計画や試験デザインの最適化、臨床試験の効率化(施設の選定や被験者リクルート)、有望なパイプラインの早期獲得などに貢献しています。

二つ目は「Digital Innovation」というプログラマーのチームです。事業活動を進める中で直面するさまざまな課題に対して、デジタルで課題解決や業務効率化を図っています。外部委託ではなく、内製部隊です。当社従業員が社内のニーズを直接ヒアリングして、各部の業務にマッチした新しいアプリケーションの提供や自動化の仕組みなどを開発・提供しています。

三つ目は、最先端の要素技術を有する社外パートナーと連携してデジタルソリューションの導入を行うチーム

四つ目は、DXを支える組織風土改革を進めるチームで、私はこちらに所属しています。DrugOMEとDigital Innovationチームのアジャイル開発を支援するとともに、システム開発以外のオフィスワークへのアジャイル適用を展開しています。また、会社全体のデジタルリテラシーを底上げし、当たり前にデジタルやデータを活用できるようにDX人材育成施策も推進しています。

市谷:
当社と活動した1年間を振り返ってみて、どんな感想をお持ちでしょうか?

菅原様:
アジャイル展開に生かせる武器を増やせたと感じています。御社と活動を始める前にも、アジャイルには具体的な行動やプラクティスが山のようにあるので、それらを用いればどんな場面でも対応できるだろうと、頼もしく思っていました。反面、実際にどれをどのように使えばよいかを決断するのは難しく感じていました。

そんな中、市谷さんにお手伝いいただき、代表的なプラクティスを利用シーンに合わせて分類し、ガイドにまとめました。現場の課題を解決するために、ガイドが実際に役立っています。これによって、知っているだけの知識から「本当に動かせるスキル」になったと実感しています。

このような活動を通じて、できることが増え、さらに高みを目指すためにやるべきこととやりたいことが明らかになりました。「アジャイルCoE(※)」といった組織を作るための土台ができてきたと感じています。

※CoE……センターオブエクセレンス(Center of Excellence)。人材やノウハウを一箇所に集め、組織を横断した取り組みを継続的に行うためのチームのこと。

法規制が厳しい製薬業界の課題感とアジャイルへの期待

市谷:
そもそも、組織課題としてはどんなものがあったのでしょうか。

菅原様:
アジャイルに取り組むきっかけは「非常に厳しい環境下にある製薬業界でも、ちゃんと結果を出していきたい」という議論から、アジャイルというキーワードが自然発生的に出てきたことからです。

製薬業界では、新薬発売に成功する確率は約2万2000分の1で、 開発期間は平均10年以上とも言われています。厳しい法規制に対応しながら開発を進める中で「自分たちでより良い方法を模索していかないと、新薬を世に出し続けるのは難しいのではないか」という課題感がありました。それを解決する1つの方法として、アジャイルについて議論されるようになりましたね。

市谷:
法規制の厳しさとアジャイルへの期待は、どう繋がるのでしょうか?

菅原様:
法規制を遵守して、明確に決めた製造プロセスをじっくりと時間をかけて処理し、医薬品を出すのは私たちの事業の基本です。ただ、そればかりに固執していると、法規制の要件は満たしていても、時代や消費者のニーズに合わないところが出てきます。「より早く製品を世に出すために、これまで以上に改善点を日々模索していく」といった部分が、 アジャイルに期待するところですね。

市谷:
現場の課題感として、現場の仕事の進め方やコミュニケーション面での問題はありましたか?

菅原様:
大きな課題は特にありませんでした。ただ、真面目で実直なメンバーが多いのは良いことである反面、普段から精一杯やりすぎているのではと個人的に感じていました。同僚が「健全に楽をする」という言葉を使っていて、これを適切に表現してくれていると感じています。もちろん、本質的に間違っていることはしませんが、より生産性高く働くために、余裕を生んでサステナブルな働き方をしたいと思っています。

市谷:
それは、まさしくアジャイルの期待に当てはまるのでしょうか?

菅原様:
当てはまると思っています。今が最善ではなく、対話を経てより良い仕組みやいろいろな価値観を取り入れながら活動していくという意味で、アジャイルへの期待感がありました。

市谷:
そういった組織課題について、菅原さんはどんなことを考えていましたか?

菅原様:
アジャイルを展開していく中で、「 プラクティスを実践する時間がない」という課題があります。すでに各自工夫をしながら、しっかりと業務に取り組んでいるのに、さらに新しい取り組みに時間を割くのは難しい面があります。これに対して「1歩踏み出してみよう」と背中を押す要素として、アジャイルのガイドを作ったり、 実際に私が現場に入り込んだりしています。今まさに意識改革を進めているところですね。

また、アジャイルを実践する目的として「成果を高めたい」「より良い働き方をしたい」という点がありますが、「アジャイルを導入したら目に見えて成果が上がりますよ」と、はっきりと説明しづらいということも課題に感じています。

全社的な活動の中にアジャイルを取り入れる

市谷:
「プラクティスに時間を割けない」「アジャイルで目に見える成果をあげるのが難しい」という課題は多くの組織に存在しているので、とても共感します。それに対して、菅原さんが特に意識して行動したことはどんなことでしょうか?

菅原様:
アジャイルを押し付けるのではなく「従来からの取り組みを活かすためにアジャイルを取り入れる」というアプローチで進めました。

具体的には、当社では「ちゃんとやりきる力(CHANTO)」をキーワードに、個々人と組織を育成するプロジェクトがあります。全従業員参加で推進しているものであり、このCHANTOのプロジェクトを支えるために、「どのようなシーンでどういったアジャイルプラクティスが活かせるか」をガイドにまとめて展開することとしました。その結果、新しく時間を割くのではなく、従来から進めている活動の中でアジャイルを実践してもらえるようになりました

市谷:
たしかに、全社活動の中にアジャイルを取り入れるので「さらに時間が必要だな」というイメージにはならないですね。

菅原様:
他には、取り組みで成果が上がってきた事例を社内の広報記事に出しました。ふりかえりなど、アジャイルに取り組んだチームに対するインタビュー記事です。「アジャイルとは?アジャイルってどんなことをするのか? どんないいところがあるのか?どういう部分が難しいか?」など、実体験としてメンバーに語ってもらいました。

市谷:
なぜ、社内広報に記事を掲載するという方法を取ったのでしょうか?

菅原様:
アジャイルを展開するには、私1人が頑張ってどうにかなるものではないと思っています。現場の人たちに参加してもらわないと活動は進みません。「実際に周りの人たちがアジャイルを実践しているのだな」と、社員に知ってもらうきっかけを作って「 じゃあ私もやろう」と、誰かの背中を押す材料になるといいなという期待がありましたね。

後編に続きます