世の中の変化に伴い、企業に求められるものもまた変化しています。そんな中で普遍的なミッションを達成するために、様々な可能性を探りつつ選択肢を広げ、アプローチの仕方を試行錯誤する姿勢は欠かせないものではないでしょうか。
 住友ファーマ株式会社では、医薬品事業を取り巻く厳しい特性のもと、事業を運営し、様々な取り組みを進める中で、持つべき姿勢やマインドセットを表す言葉として「アジャイル」というキーワードが自然発生的に出てきたと言います。2019年にはロイバント・サイエンシズ社と戦略的提携を行い、CIOのダン・ロスマン氏をCDO(チーフ・デジタル・オフィサー)として迎えるなど、全社の取組みとしてアジャイルの浸透を進めています。
 2022年4月12〜14日に開催されたレッドジャーニーのカンファレンス『Red Conference April』では、1日目に住友ファーマ株式会社から馬場博之様と菅原秀和様のお二人をお迎えし、社内でのアジャイルの取り組みについてお話いただきました。後編では、アジャイルを展開するための具体的な活動について、データデザイン室 兼 IT&デジタル革新推進部の菅原秀和様による講演と、市谷との対談の模様をお届けします。
※役職、肩書は2022年7月1日時点のものです。

前編はこちらです。

イノベーションを生みだすアジャイルの乗りこなし方。 ―アジャイル展開の実践事例

話し手
菅原 秀和 様

住友ファーマ株式会社
データデザイン室 兼 IT&デジタル革新推進部

2005年 内資系IT企業 入社。システムエンジニアとして、主に流通・製造系のシステム開発とインフラ構築および運用を担当。2013年 大日本住友製薬株式会社 入社。IT&デジタル革新推進部にて全社向けスマートワークツールの導入およびDX推進を担当。社内講師実績多数。2019年よりデータデザイン室にてアジャイル・コーチとして、海外子会社メンバーとともにアジャイルな働き方の展開に携わっている。
データベーススペシャリスト(ITEE)
Scrum Alliance® 認定スクラムプロダクトオーナー
GCS認定コーチ

高い生産性で働く海外メンバーが実践するアジャイル

私からは、弊社におけるアジャイルの具体的な活動についてお話しします。アジャイルに取り組む上でのヒントを少しでもお届けできれば嬉しく思います。

私は「アジャイルとは、柔軟で機敏なタスク管理手法に、たゆまぬ改善活動を組み込んだ業務スタイル」と定義づけて展開しています。2021年3月期決算説明会資料に「アジャイル(機敏・臨機応変)な組織文化、現状に安住せず挑戦し続ける文化の醸成」と記されており、この実現を目指し、アメリカに拠点を置く海外子会社であるスミトバント社が持つノウハウをもとに、日本へのアジャイル展開を推進しています。

アジャイルな働き方は、変化の激しい世の中で求められる要素であり、大手コンサルティングファームの調査結果では、DXにおいて最も大きなチャレンジであると言われています。また、経済産業省が所管する独立行政法人IPAより去年発行された「DX白書2021」によると、アメリカでは既にIT以外のオフィスワークでも73%がアジャイルを取り入れていることが分かります。既に必要かどうかを議論する状況ではなく、いかに取り入れていくかを考えていきたい状況にあると言えます。

そんなアジャイルをより簡潔に説明すれば、ビジネスパーソンであれば誰もが知っているPDCAを標準化して業務に組み込み、高速に回すための手法です。難しいことは何一つありませんが、業務の改善にPDCAが効果的なことは知っていても、それを継続できないという声はよく聞きます。PDCA継続の壁となっているのは、チームメンバーの方向性や認識がずれてしまう、目の前の作業に追われて計画作りよりも作業着手に走ってしまう、といった状況です。これらを乗り越える工夫がアジャイルには盛り込まれています

毎日朝礼をして、隔週で計画を作り、レビューとふりかえりの会議をする。まるで町工場の仕事の進め方のようだと感じる方もいらっしゃるかもしれませんが、まさにその通りです。アメリカにある弊社子会社のデータサイエンティストは、世界トップレベルの知識や経験を持つメンバーたちですが、この一見古臭い手法を実際に実践しています。既に高い生産性で働く海外メンバーが、日々カイゼンを試行してアジャイルを実践している。このままでは日本との差がさらに開いていくのではないかと危機感を持っています。私がアジャイルの展開に力を入れる理由がここにあります。

アジャイルな働き方を広めるためのステップ

弊社でのアジャイルの取り組み状況は、システム開発の分野ではIT部門においてこれまで4チームがすべてのスプリントイベントを実践し、翻訳ツールやアイディエーションのツール、文書検索ツールなどを作り出して全社に展開しています。また、オフィスワークへのアジャイル展開はこれまで7部門、11チームで実践しており、レトロ(ふりかえり)の実践回数を合算すると150回以上になります。

アジャイルに興味を持ってもらえるように、これまで様々な工夫をしてきました。まず、全従業員向けの社内レクチャーを行って注目を集めつつ、体系的な説明で警戒を解きほぐすことからスタートしました。続いて、アジャイルが効果を発揮している社外の具体的な事例を紹介し、社内の体験者の声をインタビュー形式で広報することで、興味関心を集めていきました。さらに、外部の講師や弊社の海外子会社のスクラムマスターを呼んで講演を行い、いつでもアジャイルを体験できるよう専用のコミュニティや体験会の受付窓口を設けています。

オフィスワークでアジャイルを実践した効果について、体験者へのインタビューでは、「日々、より良くなっていくのだという期待をもって、普段の業務にも取り組めるようになった」「改善を言葉にするだけでなく、実際の行動につなげられるようになった」「全員が自分事としてチームを改善していくというマインドを手にしたことが変化につながった」などの声が寄せられています。

仲間と密にコミュニケーションを取り、小さな違和感を放置せず貪欲に改善を進めることで仕事は楽しくなっていきます。私自身も、「仕事はしんどいものだ」というあきらめをどこかで持っていましたが、アジャイルを取り入れることで、たとえ責任範囲が広く重たくなったとしても、楽しく仕事ができるという実感を手にすることができました。

「レトロ体験会」から展開を進め、アジャイルな働き方の実現へ

社内レクチャー後、希望者に比較的取り組みやすい「ふりかえり」を体験してもらう「レトロ体験会」を行いました。すると、多くの組織から普段のルーチンワークを改善したいという声があがってきました。そこで、カンバンボードやプロダクトバックログによるタスク管理を取り入れてみると、時間的な余裕が生まれることで本格的改善へと進んでいくことができました。進め方はインセプションデッキなどを用いて計画し、本格的なアジャイルのPDCAサイクル(スプリント)を取り入れます。弊社ではこの流れを基本に据えながら、実際の現場の状況に合わせて柔軟にカスタマイズし、アジャイルな働き方の展開を進めています。

今後もしばらくは体験会を中心に草の根活動でアジャイルの体験者を増やしていく予定です。全従業員参加型育成プロジェクトとも連携しながら、コンテンツを充実させ、さらに実践者を増やしていきたいとも思っています。個人的には、アジャイル体験者を早いうちに現在の10倍である500人にまで広げていきたいと考えています。

私自身、アジャイルを取り入れることで、楽ではないが楽しく働けるという実感を得ています。皆さんと一緒に、日本の芯までアジャイルにしていけたとしたら、とても幸せです。そして、より早く、より良い健やかさを患者さんとそのご家族に提供していきたいと考えています。本日はありがとうございました。

〔対談〕アジャイルを組織で展開する試み。目指すは挑戦し続ける文化の醸成と、日本を芯からアジャイルに

話し手

住友ファーマ株式会社
菅原 秀和 様
株式会社レッドジャーニー
市谷 聡啓

アジャイルは仕事を進める上での基本的なアプローチとして外してはならないもの

市谷聡啓(以下、市谷):まずはウォーミングアップということで、菅原さんにとって私「レッドジャーニーの市谷」はどんな相手でしょうか?

菅原秀和様(以下、菅原様):いろんな面がありますが、端的に表すと私にとってのロールモデルメンターという感じでしょうか。また、コーチのように感じることもあります。アジャイルについて豊富な知見を持つ市谷さんを、コンサルタントとして頼っているところもあります。ですが、市谷さんはコンサルタント然として驕るようなことがまったくなくて、時には自分の手を動かしてマニュアルを作ってくれたりもしますよね。そういう点では、心強いパートナーとも感じています。

市谷:ありがとうございます。とても嬉しいお言葉です。菅原さんと「アジャイル」との出会いはどのようなものだったのでしょうか?また、その後、どんな意味を持つ言葉になっていきましたか?

菅原様:今の活動は2020年から担当していますが、実を言うとアジャイルとの初めての出会いはそれよりもずっと前で、まだ前職にいた2007年頃のことです。あるプロジェクトで、従来のウォーターフォール型が採用できなくなり、代替案としてアジャイル開発を採用することになりました。当時の日本はアジャイルの暗黒時代という感じで、プロジェクトはやり遂げたものの非常に大変な思いをした印象が残っています。
こういった経験があったことから、今の職場であらためてアジャイルを担当することになった際には、「浮かれてはいけない」と気を引き締めたところから活動をスタートしました。海外子会社であるスミトバント社のスクラムマスターからレクチャーを受け、アジャイルの素晴らしさを教わりましたが、自分で腹落ちさせなければ日本で展開するのは難しいと思いました。初めは相手を質問攻めにして煙たがられていたかもしれません。今は市谷さんを質問攻めにしてしまっていますね(笑)

アジャイルを試してみる価値がある」と納得することができたのは、一月ほど昼夜逆転の生活をしながら、海外メンバーが実際にスクラムを回す様子を傍で見せてもらったり、アジャイルの源流の一つであるトヨタ生産方式のレクチャーを受けたりしてからです。日本のメンバーと試行錯誤しながらアジャイルに取り組んでいくと、「楽じゃないけど楽しんで仕事を進められる」という実感を得ることができました。

今は、「アジャイルは仕事を進める上での基本的なアプローチとして外してはならないもの」と捉えています。どんな大きな問題でも、小さな期間に区切ってPDCAを回し、すべてのサイクルの中で常に学びを得ていくというアジャイルの要素は基本的なアプローチとして外せません。

市谷:取り組みを進めるにあたって「何のためにやるのか?」という掘り下げはとても大事です。菅原さんが掘り下げて考えられる理由はどんなことでしょうか?

菅原様その先に「人に伝えること」を意識しているから、でしょうか。ただ単にやるのではなく「なぜ必要か」「どんな効果があるのか」を把握していなければ、人に教えることはできません。

市谷:それはいいですね。先達から概要を教わることはできますが、実際の局面では自分が頼りです。本質を理解し、自分の血肉にしておく必要があります。

アジャイルな組織文化、現状に安住せず挑戦し続ける文化の醸成のために

市谷:住友ファーマにおけるアジャイルの位置づけとはどのようなものでしょうか?また、どのような状況を期待されていますか?

菅原様会社の公開資料(決算説明会資料)では、「アジャイル(機敏、臨機応変)な組織文化、現状に安住せず挑戦し続ける文化の醸成」を掲げています。そのための一つの手段としてアジャイルはあると捉えています。アジャイルを取り入れることで個人が力を発揮し、成長を続けるとともに仲間を尊重して共存する。高い目標に向かって挑戦を続ける。弊社には「ちゃんとやりきる力」というキーワードがありますが、そういったことが自然に行われる状態であり続けることを期待しています

市谷:住友ファーマでアジャイルを取り入れていった経緯をお聞かせいただけますか?

菅原様:市谷さんも講演でおっしゃっていましたが、会社全体のミッション達成に紐づけることで多くの従業員は自分事として捉えやすくなりますから、その観点を出来るだけ取り入れるようにしています。また、具体的なプロセスとしてアジャイルやデザイン思考といった様々なアプローチ方法を伝え、ケースに合わせて最適な手法を選択できるようにしています。

本業と掛け持ちしている現場のメンバーは成果や効果が感じられないと取り組んでくれなくなってしまいますので、「今、何が一番課題なのか?」という点をしっかりキャッチアップするようにもしています。

市谷:「組織でアジャイルに取り組む」と言っても、実際は理解や期待値を合わせるのに時間がかかります。その高いハードルを既に突破しているという点は大きなアドバンテージだと思います。

アジャイルは、より高い目標に挑み実現したいという想いを叶えるための仕組み

市谷:アジャイルは元々ソフトウェア開発から生まれた言葉ですが、開発だけではなく、アジャイルを組織に広げていくことの必要性や意義とはどのようなことだと思われますか?

菅原様:変化の激しい世の中においては、システム開発に限らずほとんどの業務で価値を生みだし続けることが求められています。そのために必要なのは、よりスピーディーに、より多くのトライ&ラーンを繰り返すことと、それを成功を手にするまでくじけずに継続することではないでしょうか。より高い目標に挑み、実現したいという想いを叶えるための仕組みがアジャイルだと思います。

組織に限らず個人にとっても、アジャイルは自立や成長を助けてくれる力になるはずです。長い人生の間には、自分ではどうにもならないことも多いように思えますが、高い目標にも小さなトライ&ラーンを積み重ねながら挑み続ければ、きっと成長することができるはずです。

市谷:組織にアジャイルを広げていく際に直面する課題とはどのようなものでしょうか?また、どのようにして乗り越えていけば良いのでしょうか。

菅原様:課題はいろいろとありますが、変化とはそもそも受け入れられにくいものであるということは意識しています。新しい方法を取り入れようとすると、懐疑的な見方をしたり既存を維持しようとしたりする反応は必ずあります。

それでも変化を進めるためには、仲間を見つけ、小さいところから成功体験を積み重ねながら、一歩ずつでも前に進むことに意識を向けることが大事なポイントだと思います。また、継続させるためには当事者である実践者が早い段階でメリットを感じられるように工夫することが大事です。

※ご質問の募集は現在終了しています。

市谷:私は伴走支援者として当事者たちを励ます役割ですが、自分たちのここまでの歩みや足跡に思いをはせる機会を意識的に持つことで、伴走者も当事者も、自分たちを鼓舞することが必要です。菅原さんは、ご自身を鼓舞するために意図的にしていることは何かありますか?

菅原様:モチベーションを保つのは難しいですね。今は社内で興味を持ってくれた人と繋がって話をしたりしていますが、社内で仲間を見つけるのが難しかった初期の頃は、社外のコミュニティで出会った仲間と交流をもっていました。今年始めに参加したアジャイルのイベントでは、他の参加者の方々が切磋琢磨しながら学習し、熱く取り組んでいる様子を目の当たりにして、モチベーションが高まりました。市谷さんとも社外のコミュニティで開かれていたイベントがきっかけで出会いましたよね。自分の周りには仲間がいないように見えても、範囲を広げてみればきっとたくさん出会えるはずです。

市谷:コミュニティは組織内に広めるための足掛かりとなるばかりではなく、当事者や支援者に力を与えてくれる役割も持っていると思います。自分たちを励ましつつ進めていけたらいいですね。

理解を合わせるためにフレームワークを活用する

市谷:アジャイルに限らず、組織内で新たな方法を適用するには経営と現場でそれぞれ理解を合わせていく必要があると思います。それぞれに対してどのように臨めば良いでしょうか?

菅原様:初めから闇雲に取り組むのではなく、先人の知恵であるフレームワークを活用することをおすすめしたいです。

例えば、市谷さんの講演にもあったリーダーシップ論のジョン・コッターによる「8段階プロセス」や、起業家のジェフリー・ハイアットによる「ADKERモデル」、シンプルなものでは購買行動モデルの「AIDMA」など、チェンジマネージメントに利用できそうなフレームワークを対象ごとに分けて活用できたらいいのではないでしょうか。

フレームワークを使うことで新しい参加者へも説明がしやすいですし、自分がチームを離れるときにも後任への引継ぎがスムーズです。何より、自分自身が納得しやすくなると感じます。納得した上で自信を持って行動できるようになれば、周りからの賛同も得やすくなります。

日本を芯からアジャイルに

市谷:今後も組織の中でアジャイルを広げていく活動を続けていかれると思いますが、どのような展望をお考えでしょうか?

菅原様:しばらくは体験会をメインに草の根活動でアジャイルの体験者を増やしていこうと思っています。全従業員参加型の育成プロジェクトとも連携しながら、コンテンツを充実させ、アーリーアダプターを攻略するところまで持っていけたらいいですね。体験者が500人くらいまで増えたら、思わずワクワクするような次のステップが見えてくるのではないかと期待しています。

ただ、アジャイルは目的ではなく、あくまでも手段です。私たちの目的は患者さんとその家族、そして社会を健やかにすることですから、その達成のためにアジャイルを軸にしつつも固執することなく、組織行動学や経営学も学びながら、弊社に合った働き方を見つけていきたいです。

市谷:組織アジャイルに取り組む方は、この1〜2年ほどの間に増えていると感じます。実際に取り組まれてきた菅原さんから、ぜひメッセージをいただけますか?

菅原様:私の場合は、厳しい特性のある医薬品事業で懸命に働いている仲間がもっと楽しんで仕事に取り組めるようにしたい、という想いが原動力となってここまで活動してきました。少しでもアジャイルに取り組もうと考えられている皆さんなら、恐らくそれぞれに成し遂げたい目標や解決したい課題をお持ちだと思います。ぜひ、それらを書き留めておいて、そのカイゼンを意識してほしいと思います。それが皆さんの原動力になるはずです。

アジャイルの源流にあるカイゼンとは、「目指す状態に近づくためのすべての行為」だと言われます。解決したい問題に向かってアジャイルに取り組み、1回目のスプリントを終えた皆さんは、始める前と比べて目指す状態に近づいているはずです。前だけを見ていると、ゴールの遠さをつらく感じることもあると思います。時には、後ろや足元へ視線を移しながら、歩みは止めずに進んでいただきたいです。

私が好きな市谷さんの言葉に「日本を芯からアジャイルに」という言葉があります。そこを目指して皆さんとともに取り組んでいけたら幸いです。良い取り組みがあれば、ぜひ聞かせてください。よろしくお願いします。

市谷:「日本を芯からアジャイルに」を目指して、これからも一緒に取り組んでいきましょう。今日はお忙しい中、ありがとうございました。

前編はこちらです。