アジャイル黎明期から交流をもち、ともにアジャイルに挑み続けてきた、レッドジャーニーの市谷聡啓と中村洋。普段からよく「雑談」をしているという二人による、通常のイベントでは語られない「ここだけの話」をお届けします。
ざっくばらんな会話のなかに、キラリと光る名言が見つかるかもしれません。行き詰まったとき、気分が落ち込んでしまったとき、匠たちの「こぼれ話」にちょっとだけ耳をかたむけてみませんか。

今回は、最近読んだ本や参加したカンファレンスで発表されたスライドへの感想などから、ナレッジマネジメントのアイデアが飛び出します。そして、アジャイルの専門家としてのナレッジを今後どのように生かしていきたいのか、レッドジャーニーの価値観に通じるそれぞれの思いを語りました。

話し手

市谷 聡啓 Toshihiro Ichitani

株式会社レッドジャーニー 代表 / 元政府CIO補佐官 / DevLOVE オーガナイザー

サービスや事業についてのアイデア段階の構想から、コンセプトを練り上げていく仮説検証とアジャイル開発の運営について経験が厚い。プログラマーからキャリアをスタートし、SIerでのプロジェクトマネジメント、大規模インターネットサービスのプロデューサー、アジャイル開発の実践を経て、自身の会社を立ち上げる。それぞれの局面から得られた実践知で、ソフトウェアの共創に辿り着くべく越境し続けている。
訳書に「リーン開発の現場」、著書に「組織を芯からアジャイルにする」「デジタルトランスフォーメーション・ジャーニー」「カイゼン・ジャーニー」「正しいものを正しくつくる」「チーム・ジャーニー」「いちばんやさしいアジャイル開発の教本」がある。

中村 洋 Yoh Nakamura

株式会社レッドジャーニー
CSP-SM(認定プロフェッショナルスクラムマスター)・CSPO(認定プロダクトオーナー)

様々な規模のSIerや事業会社でのアジャイル開発に取り組み、今に至る。現在まで主に事業会社を中心に40の組織、80のチームの支援をしてきた。
「ええと思うなら、やったらよろしいやん」を口癖に、チームや組織が自分たちで”今よりいい感じになっていく”ように支援している。
【発表資料】 「いい感じのチーム」へのジャーニー、チームの状況に合ったいろいろなタイプのスクラムマスターの見つけ方、アジャイルコーチが見てきた組織の壁とその越え方、など多数。

知識だけでは難しい、各現場での判断

中村:RSGT2023 でのスポンサーセッション、お疲れさまでした。スライドも良かったし、人もたくさん入っていましたね。

※RSGT2023 とは
2023年1月11日〜13日に開催されたRegional SCRUM GATHERING® Tokyo 2023。アジャイルやスクラムを実践する人が集まり意見交換をするカンファレンスで、レッドジャーニーはプラチナスポンサーとして参加しました。市谷、中村がセッションに登壇したほか、ブースを設置し様々な方とお話させていただきました。市谷の発表資料はこちら、中村の発表資料はこちらで公開しています。

市谷:ありがとうございます。今回は初めてお会いする方が多かった印象です。
この数年間で、ああいう場に足を運ぶ人が増えたのではないかと思います。

中村:実行委員によると来場者は400人以上ほどだったそうですが、当日のネームストラップの表示(初参加の人は「ファーストタイマー」と表示される)を見た感じでも、過去2年と比べて初参加の方が増えた印象です。

実際に、今回初めて参加したという人ともお話させてもらいました。
初めてPO(プロダクトオーナー)を務めているという人や、会社の方針でスクラムを始めたばかりという人もいて。
旧知の人とも久しぶりに交流できましたし、やっぱりああいう場はおもしろいですよね。

「コーチーズクリニック」のコーナーでは、スクラムマスターや若手のプロダクトオーナーからの相談を10件以上受けました。
中でも多かったのは、専門知識や経験の不足から臨機応変な判断ができず行き詰まっているケースです。
そういうときは外からの問いかけが突破口になることがありますから、一人で抱えこまず、時には外部の力を借りてみるのもいいですよ、とお伝えしました。

市谷さんもいろんな相談を受ける機会があると思いますが、最近の傾向について何か変化を感じることはありますか?

市谷:数年前と比べると、情報はたくさんありますから、自力で調べてある程度は取り組めるようになっていますよね。ちょっと調べれば分かるようになってきている。

そんな中で難しいのは「判断」なんだと思うんですよね。
例えば、スプリントレビューをやるといったとき、どう進めるかを予め自分たちで調べると思います。
でも、いざ自分たちの状況と合わせようとすると、どうアジャストしていくのかが難しい。
本来なら経験者やアジャイルコーチが補完するところですが、不在なので自分たちで判断せざるを得ない。
自分たちだけでやるにはどうしても限界があって、なかなかうまくはいかないですよね。

中村:どのタイミングでどんなことをするか?の判断が、たしかに難しいところですよね。
現場の状況が分かる人と知見のある人が組み合わされれば、うまくいきそうですけど。

市谷:現場での判断は臨機応変になされるもので、完全に言語化できるわけではないですからね。
経験者に相談しようと思っても、細かい現場の相談事はコミュニティでは気軽に話せないでしょうし、そもそもコミュニティの場もそれほど多くありません。

中村:そういう悩みをコーチーズクリニックのような形で拾いあげていけるといいなと思います。
短い時間でもいいので、アジャイルコーチの存在意義を感じてもらえたら嬉しいですよね。

専門家のナレッジに払われるべき「対価」

市谷:ボランティアではなくビジネスとしてコーチをしているからには、対価をいただくことは必要ですが、あくまでも念頭にあるのは「儲けること」ではなく「相手が良くなること」です。
根本的に突破できるのか?その人のためになるのか?
こちらへの依存が高まるだけなら、その人のためになりません。

中村:そうですね。
私は雑談の中で相手のコンテキストに乗って話すことも結構多いですが、できるだけ力になりたいと思う一方で、専門性の高い内容については対価が必要だということも伝えていかなくてはなりません。
コミュニティの場では、明確なルールがあるわけではありませんが、対価の話を持ち出すのは何となく違和感があります。
そういう意味でも、個別相談を持ちかけるにはコミュニティの場はそぐわない気がします。

市谷:ナレッジに対価を払うことがスムーズに受け入れられるには、余裕が必要でしょうね。

中村:線引きが難しいと感じることもあります。

市谷:専門家側がナレッジの「引き出し」からどれくらい提供しているかの度合いによるのかな。
お互いに知見を出し合いながら新しい道を探すようなやり取りであれば、対価は発生しないでしょうけど、相手の文脈への依存度が極端に高い場合は、専門家にとって「仕事」の意味合いが強まると思います。
勉強会のあとに少し話すのと、相談のために別途時間を確保するのとでは大きく違って、後者は明らかに「仕事」ですよね。

日本ならではのナレッジを蓄積する方法

市谷:RSGT2023 で発表されたスライドは現場での実践から生み出されているものも多く、手触り感のあるナレッジが多かったように思います。

中村:特に今年は内容が濃いスライドが多かった気がしますね。
RSGT2023 でも、スライドやセッション、会場で交わされる会話などが連鎖反応を起こしながら、ナレッジとして蓄積されていますよね。
それに比例してクオリティも上がり、深い知識や学びが得られる場へ変遷していると思います。

市谷:こうしたスライドは書籍とは、ナレッジの媒体としてはまた違うものですね。

中村:最近読んだ『ゾンビスクラムサバイバルガイド: 健全なスクラムへの道』(2022、木村卓央ほか 訳)は、単なるハウツー本ではなく、より本質的なところに言及されていて読みごたえがありました。
現場での判断に役立ちそうなヒントも盛り込まれているので、現場の担当者の方も興味深く読めると思います。

市谷:あるようでなかった本ですよね。
アジャイル関連の書籍には翻訳本が多いですが、海外と日本では文脈が異なるところもあり、日本ならではの状況や文化を反映したような本がもっとあったらいいですよね。

中村:業務委託とプロパーの話とか、パートナーさんをどう巻き込むか?とか、日本でスクラムに取り組む多くの現場に共通する課題だと思いますが、そういう題材を扱った本はたしかにあまりないですよね。

翻訳本の一つの価値として、海外のものを日本に届けるという点があると思いますが、最近はAI翻訳の技術が発達していて、海外の記事や論文を読むのにも不便を感じないレベルです。
私も普段から翻訳ツールを使っていますが、専門用語もちゃんと読み込んでくれますし、すごくクオリティが高いです。

市谷:本もスライドもいいですが、今は国内外に情報があふれているので、その中から良いものをピックアップしてくれる「キュレーション」に価値を感じます。

中村:適切な本や記事をキュレートしたり、分かりにくいものを自分なりにまとめたりすることで、新しい知識や技術をキャッチアップする時間を専門家が代替してくれるというのは、一つのバリューですね。

良質なコンテンツを提供するプラットフォームの理想像

中村:市谷さんはご自分で本を出していますけど、ブログとは全然違いますか?

市谷:そうですね。本は「売り物」なので最終的な判断基準は読者にあります。
わざわざ本にするのであれば、読者が読みたいものや売れるものを書くことが前提だと思います。

一方でブログは自分基準ですから、他の人の役に立つことでも自分が関心のないことは書きませんよね。
その中間くらいの、もっと気軽に出せるものがあるといいな、とは常々思っています。

ブログの有料記事については、個々の記事ごとに課金するよりも、定額制にして気軽にたくさん読めるシステムにする方がいいと考えています。
最終的に一番読まれた人=プラットフォームに貢献した人に、より多く還元される仕組みにすれば、書き手のモチベーションに繋がるんじゃないでしょうか。楽曲のプラットフォームのように。
読み手としても、記事ごとに課金するとなると気軽に幾つも読めないですよね。

中村:意思決定の頻度が多いと読み手にとっては面倒だということですよね。
意思決定の容易さの度合いはビジネス設計に影響しそうです。

市谷:問題はクオリティの担保です。定額でいろんなプロの作品に触れられるというのが価値なので、プロのみが在籍するわけではないプラットフォームでは課金の対象になりにくいかもしれません。

中村:会員制で良質な本や記事が読めるメディアは幾つかありますよね。コンテンツによって有料と無料の線引きがしてあるのは、理にかなっていると思います。

市谷アジャイルでも、有力なコーチ陣を書き手に迎えられれば、定額で良質な記事が読み放題という会員制プラットフォームが実現できるような気がします。引退したらそういうのをやってもいいな。

中村:会員限定で、そういう書き手の人に個別相談ができるというのもおもしろそうです。

根本にあるのは、人助け。良くなろうとする組織と人の力になりたい

中村:レッドジャーニーはアジャイルコーチの集まりですけど、これだけアジャイルコーチがいたら、アジャイルの解釈やプラクティス論で盛り上がるものだと思うんですよ。
でも実際は、そこまでアジャイルにこだわっている感じはありませんよね。
メンバーが関心のあること、大事にしていることを、あらためて知りたいと思っています。

市谷根本にあるのは、人助けじゃないかな。他のメンバーとも共通するところだと思います。
人助けが「Why」としてあり、「What」や「How」としてアジャイルがある。
金儲けという観点はそこにはないですよね。

中村:なるほどなあ。

市谷:コンサル業は、ある意味で「ものを考えること」を補う役割だと思います。
かと言って、足りない手と頭を補うためだけに関わっても、一時的な助けにはなるかもしれませんが、根本的には何も解決しません。

中村:自分たちの人助けの行く末に何があるか、というところまで見ているんですね。

市谷その人たちの助けになったことで何が生まれるか
規模の大小よりも、結果として良いことになるかどうか?という点が気になります。

例えば、地方の中小企業で新しい商品を生み出そうとしているのを支援する場合、規模は大きくなくても、その地域にとっては「おもしろいこと」じゃないですか。そういうところを助けたいと思います。

中村共感できるかどうか、ということかな。

市谷:そうですね。
「人を助ける」ということに重きを置くようになってから、自分の共感できる対象の幅が広がっていると感じます。
自分自身はそれほど関心が高くないテーマでも、人助けになるならやろうと思えるからです。
小さなチームでも、思いの強さや姿勢を知って「この人たちを助けられたらいいな」と共感できる人たちと一緒にやっていけたらいいですよね。

中村:相手が何を目指しているのかが見えてこないと、共感できないし、モチベーションにも繋がりませんよね。長続きもしないと思います。

市谷ほんの少しでもいいから、私たちの世界が前より良くなっている感じが得られると希望が持てます。
自分が直接的にできることだけではなく、誰かを助けることで間接的にでもいいんです。
日本の伝統的な組織は本当に大変です。
そんな中で自分に何ができるのか?
一部分からでも「良くしよう」とがんばっているところを助けることしかないんじゃないかと思います。

ものづくりでも、チームでの取り組みでも、最後まで問題として残るのは人の営みではないでしょうか。
人間が自分たちの手で何とかしなくてはならない問題は、そう簡単になくならないでしょう。
そういうところに、我々が持っている知識や経験を注いでいきたいですね。

中村:人助けというキーワードは「共創」にも繋がります。
「ともに考え、ともにつくり、そしてともに越える」はレッドジャーニーの価値観でもありますが、この言葉に込めた思いを伝えていけたらいいですよね。

次回もお楽しみに。

関連記事

市谷聡啓×中村洋の〔アジャイルこぼれ話〕シリーズ