増田さんは現在、個人事務所で業務系のアプリケーションを開発・設計をされています。最近では『現場から学ぶモデル駆動の設計』というコミュニティで、月に一度くらいの勉強会もされているそうです。一緒に会社を立ち上げて活動していた時期もあり、市谷が『大先輩であり盟友』と公言する増田さんとの対談は、当時の思い出を交えつつ、日本の組織やアジャイルをめぐる過去・現在、そして未来へと広がります。
後編では、戦争からコロナ渦に至るまで日本の組織が経験した様々な変化や取り組み、そしてエンジニアリングとアジャイルで作るワクワクな世界について語ります。
現代の日本の組織課題とは
市谷:次に増田さんに胸を借りてお伺いしたいのは、昔に比べてどうなんだというところです。60年前、70年前の組織と今を比べて…
増田:そんなに昔のことは私も知りませんけど(笑)
1980年代に社会人生活をスタートして40年位になりますが、その頃は大きい組織でもチャレンジャーだったと思います。新しいことに取り組まなければいけない。例えば1980年代は市場の競争が激しかったし、特にIT分野などはアメリカに追いつけ追い越せ、アメリカという市場にどうやって参入するか、そういう体質が大きな会社にもありました。今の会社と比べて思うのは、過去にこういうやり方をしていたから今年もこういうやり方ですと当たり前になるということは、昔はなかったと思います。
市谷:おお!そうなんですね。
増田:そんなにいろいろな会社を経験したわけじゃないけど、業務マニュアルだとか、社内業務の標準化ということに取り組んだ会社が、今の大企業になってるというところは多いかもしれません。
市谷:ああ、やっぱりそうですか。
増田:リーンのもとになったのは、1970年代から80年代のトヨタですよね。その頃って、もっと品質を上げなければいけない、もっと生産性を上げなければいけない、もっとアメリカ市場に食い込まなければいけない、挑戦しなければいけない。そして挑戦して突破していくには、今までやっていないことを何かやらなければいけない。
会社全体がそういう雰囲気だったか、業界全体がそういう雰囲気だったかと言われるとちょっと疑問ですが、あきらかにそういうエネルギーや、そうことを率先して旗振りしている経営陣は今より多かったと思います。例えが良いかわかりませんが、ある意味”老害”が無かったような気がします。戦争の関係もあり”老害”になりようがなかったのかもしれませんね。その当時のトップだった人たちは。
今では、私が会社に入った頃の人たちはもう取締役になって退任していたりします。その人たちは自分たちが培ってきた成功体験、俺たちが作ってきた標準化だ、業務組織だ!ということで上手くいったという結果、取締役まで昇り詰めているわけで。本当はチャレンジしてここまで来たのに、成功体験を守ることになってしまっているというところはあるんじゃないかな?
市谷:なるほど、深いですね。戦争まで戻るんですね。
増田:上の人たちが戦争で亡くなっていたり、公職追放というもので主要な財閥系の企業が解体されたりして、人材や組織の流動性が高い時代だったんですよね。
市谷:そうなんですね。流動性が高いと言えば今が極まえりといった感じですが、1980年ぐらいも戦後40年ほどたって戦後の結果が出てひとつたどり着いたところで。そこにたどり着くまでの間(戦後〜1980年)が、何もないところから挑戦して突破していくんだという取り組みだったのかなと思いました。
増田:統計を見ていないので分かりませんが、大手企業の平均年齢が上がってきてるんじゃないかな?例えば私が入ったころの平均年齢平均年齢は30代だったのが、会社が成長するにつれて上が抜けないで下が入って来ることで、結果的に平均年齢が上がってしまう。企業の歴史と従業員の平均年齢が並行して上がっていくような。私の感覚からすると硬直化したなという感じがあります。偶然か必然か特にコロナが起きて、硬直化のままではダメなのではないかということが顕在化してきたような気がします。
市谷:成功体験が1980年くらいにひとつ山を迎えて、そこからそれを守ることを選んだ企業が大半だったんだと思います。そういったところが標準なりマニュアルやガイドといったもので”固める”という取り組みとなり、あとに残って縛りつけるような方向づけになっているのかなと。それが今のタイミングで、さすがに状況や変化に対応できてないよねというきっかけになっているんですね。
増田:デジタル技術としてはもっと前からできたのにやってなかったわけですよね、日本企業の大半は。だけどコロナであっという間に、否応なしに在宅でリモートでの会議をすることになり、強制的に仮説検証をやらされました。仮説検証をやってみようなんて絶対思わないような層が、強制的に仮説検証をさせられたというのはすごい社会事件だったと思います。
市谷:そうなんですよ。2年くらい前の話にもかかわらず、だいぶ通り過ぎてあまり残ってない気がするんですけど、でもあの時日本中で実は仮説検証、実験したんだよねって思うんですよね。
増田:みんなが実験して知見を持ったということは、少なくとも可能性という意味では、紙に書かれたこれからはデジタルの時代、DXの時代ということよりも、もっと強烈にデジタル技術を使った仕事のやり方というものを好むと好まざるにかかわらずやったということ。
もう一つ、これは人によって見方が違うと思いますが、私はそういう大きな変化が起きた時の、この人ってこういう反応するんだとか、この人ってこういう面もあるんだというような、これが無かったらお互い認知することがなかったような側面やアプローチの融合があちこちで起きたような気がします。
市谷:そうなんですよね。いいきっかけがあったんだと思うんです。でもそこで何ができたんだろう、何を得たんだろうというふりかえりをちゃんとやれているわけではない気がしていて。そこに学びがあるんじゃないかなと思いますね。
増田:学びという機会に巡り合ったのに、学んだかどうかという問題はあるかもしれないですね。
市谷:そうですね。慣れていないんだと思うんです。そういう事態に陥って取るも取らぬ試行錯誤をして突破して、なんとかできた!で終わりといった感じで。そこで本当は適応していく術を得ていくきっかけになったかもしれないですけど。その後も組織にかかわってますが、なかなか変わっていくのは難しいといったところです。
増田:組織はそう簡単に変わらないだろうなと思います。急に変わることはむしろあり得ないと思っていて。80年代に、例えばバラバラに使っていた社内の書類を統一伝票にしましょうとか、業界内で統一伝票を作れば効率的だよねといった取り組みをやっていた時代がずっとあるわけで。今まで標準化してなかったものを標準化しようと思ったら、働きかけから浸透するまで10年、20年単位の時間がかかってくる。そこまで気の短い市谷さんが待てるかどうか分かりませんけど…あ、私もか(笑)
まさに市谷さんの言っていたDIFF(差分)の話だと思います。大きな組織でもDIFFはとれるようになってきている。昔は1年前とのDIFFをとるのも大変だった時代もあるんじゃないかな。少なくとも市谷さんが関与している組織ではDIFFとれるでしょ?
市谷:そうですね。1年たってどんだけやれたんかな?と思い返した時、たいして進んでへんなぁと思うのですが、それは絶対値としては進んだとはいえなくても、その組織の1年前と比べたら明らかに進んでいるよねと。それは本当にそうだと思います。
増田:いわゆる揺らぎや偶然の差分ではなく、意図をもって作り出した差分がDIFFとして残っているくらいには変わってくるんじゃないかな。それをコップの1割も入ってなくてなんだこれはと思うか、すごい!この大きなコップの1割も入った、と思うかということですね。
市谷:そうですね、とても時間がかかる話ですね。というわけで、私ももう次の世代に継いでいかなければいけないなと思っております。
増田:それね、前から時々その発言が出たとき何かひとこと言おうと思ってたのだけど…
市谷:お願いします!はい。
増田:走れるところまで走って、倒れたら次の人が上を乗り越えていけばいいんじゃない?くらいの感覚の方が次の世代が来ると思う。
市谷:増田さんに言われるとぐうの音も出ません(笑)
増田:私は次の世代に譲ろうなんて思ってないもん。
市谷:いやぁ、増田節ですね。
”エンジニアリング”は組織を救うのか?
市谷:組織は1年前から比べればDIFFがとれるくらい変わってるよね、といった話しが出ました。ここではその変化を支え、促すものとしてエンジニアリングとアジャイルを挙げています。
私はエンジニアリングにおけるものの考え方、価値観、振舞い方は、組織にとって必要なものなのではと思うことが結構あって。
簡単な例でいうと、何をやるにしても人の手を介して、頑張って人手でやる!というような仕事の仕方をしているわけですよ。でも、もっと省力化したり自動化して、人がかかわらなくてもいいようにできないのかな?という発想って、エンジニアでは当たり前かもしれないけど、それ以外の職種ではひょっとしたらあまりないのかもしれないなと思ったりする。という意味で、私はエンジニアリングで言っている考えや原則、価値観といったものは、他の業種に活きることがあるのではと思っています。増田さんはいかがですか?
増田:そう思います。広い意味で仕事のやり方の話だと思います。ソフトウェアは分業化して定型化して画一化してといったようなものが当たり前の作り方になっていた。そこにアジャイル的な経済合理性のあるような作り方が入ってきて明らかに変わりました。
ということは今までやってきたやり方はあるにはあるけど、そのあたりを変えるということも実際に起きることなんですよね。どうやって起こすか、何をどこから起こせばいいのかという各論は私も分かっていないけど。仕事のやり方を変えることで今までのやり方よりもっといい成果を出せるんだということを目の当たりにしてきてるので、それって組織のほかの活動でも同じだよねという気はします。
市谷:そうですよね。これって結構パラダイムシフトというか。やっぱり昔のソフトウェア開発は、業務でやっていることをシステム化していくということで、結構業務ありきといったところがありました。決してそういうわけではないのだけど、主従で言うと、主が業務で従がシステム開発、というところが随分昔にはあったような気がします。
それが気が付いてみればその業務の方が非効率なやり方をしていて、そもそも仕事の進め方としてソフトウェア開発でやっているような知恵ややり方がかえって活きるじゃん!ということになると、立ち位置が逆転しているかのように思えるところがある。それって長くソフトウエア開発しているしている人からすると、お!という感じがして。私だけかもしれないですけど。
増田:本当にここ10年5年くらいの間に、明らかに事業活動の中のITの基礎になりましたよね。
デジタルな世界で活動することが事業活動になっているので、デジタルの世界でどうやって行くのかという企画や実践、導入自体が企業や組織を変えるということとかなり密に関係していると思います。むしろIT側からこれにどういうビジネス価値があるかということに、きちんと認識を合わせられる人たちがリードするというモデルもすごくありだと思います。
1980年代の話に戻りますが、基本的にはコンピューターの導入って一大業務改革だったんですよね。発想の転換というか。コンピューターを入れることを理由に、業務のルールを変えたり組織を変えたり。ある意味コンピューターという道具はお飾りで、やりたかったことは業務改革というような案件を私は何度も経験しています。
市谷:そうですね。だから、偉そうなことを言うかもしれないですけれど、エンジニアってやっぱり組織に必要だなと思っています。エンジニアが普段やっている問題解決の仕方や、バグがあって原因を探っていくという手順というか考え方は、ソフトウェア作りだけでなく業務や他の仕事でも活きるんじゃないかなと。
エンジニアの方も今日ご覧いただいていると思いますけど。エンジニアだからソフトウェア作りをするのはもちろんなのだけど、自分たちの持っているものが組織を変えていくのではないかという思いを持って良いと思うんですよね。
増田:少なくともそういうポテンシャルを持った仕事ですよね。実際にそれが影響を与えるのかは置いといてて、ソフトウェアエンジニアやソフトウェアを作る部隊やエンジニアリングの部隊というのは、組織を変えていくとか事業活動のあり方の新たな可能性を切り開いていくポテンシャルのある部隊だと思います。
市谷:そうですよね。だから自分たちの役割ややっていることを矮小化せず、むしろ広げていく、自分たちの持っている術で活躍、貢献していくようになってほしいなと思っているところです。
増田:可能性はいっぱい広がってきていますよね。
もっとワクワクする世界はある?
市谷:では、改めてもっとワクワクする世界ってどんなイメージでしょうか?まだゴールではなくここから先もある中で、増田さんが思い描くこんな感じワクワクするなといったものを教えてください。
増田:事業活動が財務の成果一点張り、利益率や成長率とかそれが成績表ですというのは20世紀のモデルで終わっていくと思います。利益を上げなければいけないということがなくなるという意味ではなくて、従業員が生き生きと動いているとか、パートナーシップを組んでいるところがお互いにいろいろなチャレンジを協働しているとか、成功の定義が変わっていくのかなと。そういう成功もあるよねという世界がもう少し広がるんじゃないかなと思います。今までの基準での企業や事業の成功が、それは成功じゃないんじゃない?というのが芽生えてきてる気はします。資本効率一点張りの価値観ではなくなってね。
市谷:協力して仕事をする…増田さんの本心でおっしゃってるんですよね?(笑)
増田:(笑)自分がそれをやりたいかというとちょっと違うかもしれないけれど。
一緒に仕事をしている人を見ていて、生き生きとしている人たちと、資本効率のKPIでエネルギーを出しているけど生き生きしていない人、ワクワク感のない人など色々いる。資本効率でいったら落第とまでは言わないまでもあまりいい成績ではないかもしれないけど、これだけみんなでワクワク仕事をしいて、人生を送れていたらこっちの方がいい世界だよね、手伝うんだったらそっちだよねという話です。
市谷:もう少し掘り下げたいところですが、時間がきてしまったのでまとめに入りたいと思います。miroにも感想などいただいておりますが、増田さんから何か思うところはありますか?
増田:コメントを見ると、みんな苦労しているんだろうなと思いました。現実世界を見ると本当にそんなことできるのかな?ということが多いと思っています。私自身も自分のやり方でサクサクとみんなが動けるような世界にはなっていません。ただ先ほども出てきたようにDIFFはおこせるようになったなと思います。
エクセル仕様書を書くことしかソフトウエア作りをイメージしていなかった人に、こういうやり方もあると気づいてもらうことはできるようになった。そういう気付きを増やしていくことでディフを作るチャンスも広げていけるのかな。絶対戻らないと思っていた今手掛けているような世界では、DIFFは絶対作れないと私も思い込んでいたので。
市谷:前半の話にもありましたが、気付けば環境や状況の方が変わる流れになってきていて、上手く後押しや支援ができる時代になってきたと感じます。
増田:とにかく一度やってみましょうというところまで持っていけたら、かなり確率は上がる気がします。机上の議論ではなくてね。そういうやり方があるということを、見学するのではなく、実際に手を動かしてやってみましょうというところまでたどり着ければかなりチャンスは広がるかな。どっちがいいとか、なんでやるんだということをちゃんと言語化して説明した上で、納得しないと何もやらせてもらえないという環境だと結構厳しいかもしれないな。
市谷:そうですね。そういうきらいはあると思います。時間がかかりますよね。
増田:議論をしている時間より、実際に経験してみましょうという時間、経験する時間をいかに増やすかですよね。市谷さんだって今やっている仕事はお客様のところに行って、これはこういうものですと説明するような生業ではなく、現場で何かアクションを起こすことを手伝っている感じでしょ?
市谷:そうですね。やったことないことをやろうとするには、こちらで一緒にやったりもしますし。もっとベーシックなところではそもそも人が足りてませんとか、結構深刻な問題としてあるのでなかなかの状況です。
増田:市谷さんも私もそんなにスムーズに変わってきた状態ではないが、変えられるかどうかでいうと変えられそうだな、変わりつつあるなという手ごたえは感じながらやっているんじゃないかなと思います。
増田さんがあげる「シン」の一字
市谷:では最後に「芯アジャイル」の「シン」の字にどんな漢字をあてはめるか、増田さんのイメージをお聞かせください。
増田:候補は二つあって、ひとつは『心』だったんだけど、心は抽象的すぎるかなと思って。
もう少し自分の実感があるものだと『進』ですね。進化とか前進とか。ソフトウェアの話でいえばevolving、ソフトウェアを進化させ続ける、発展させ続けるといったところから進むという漢字かなと思います。ととどまりたくない、進んでいきたい、歩いていくという感じです。今も一歩一歩進んでいるつもりだし、まだ歩いていないところがいっぱいあるから、歩きながらいろいろいろいろ楽しんでいく感じかな。
市谷:なるほど。増田さん自身も進んでいくぞといった感じですね。いいですね!大先輩がまだまだ進んでいくぞという…
増田:いやいや、年齢も外見も実態もそうだから仕方ないんだけど、エンジニアというところでは一緒だよねという気持ちです。先輩後輩ではなく、得意な分野も不得意な分野もあるなかで、市谷さんは海の知見、私は山の知見があって、お互いの知見について話してみると実は共通点がたくさん見つかって楽しかったねとか。
市谷:そうですね。盟友ですからね。
増田:そうそう。そういう感じです。進むという言葉にも関係してくると思うのですが、市谷さんだって立ち止まってるの嫌いでしょ?停滞感とか同じことを繰り返すとか。そのあたりに同じにおいを感じます。
市谷:確かにそんな気がしてならないです。引退という言葉は使わないようにします。
増田:今やってることを引退するのはいいと思うけど、また次があるわけだから。引退してのんびりなんてできないと思いますよ。
市谷:増田さんに言われると、なんも言えないです。今日はとても楽しかったです。どうもありがとうございました。
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