2001年に公開された「アジャイルソフトウェア開発宣言」から20年以上が経過しています。この間、現場で自ら試行錯誤を繰り返しつつアジャイルへ挑み続けてきた、レッドジャーニーの市谷 聡啓中村 洋。「ふたりの対話」3回目となる今回は、ご参加の皆様よりいただいたご質問の中から5つのテーマについて対談しました。スクラム開発を他部門に横展開するには?ウォーターフォール上司との向き合い方とは?知見のない新規事業の始め方は?親交の深いふたりのアジャイル実践者が、皆様のリアルなお困りごとに真摯に向き合い、ともに考え、語ります。

話し手

市谷 聡啓 Toshihiro Ichitani

株式会社レッドジャーニー 代表
元政府CIO補佐官
DevLOVE オーガナイザー

サービスや事業についてのアイデア段階の構想から、コンセプトを練り上げていく仮説検証とアジャイル開発の運営について経験が厚い。プログラマーからキャリアをスタートし、SIerでのプロジェクトマネジメント、大規模インターネットサービスのプロデューサー、アジャイル開発の実践を経て、自らの会社を立ち上げる。それぞれの局面から得られた実践知で、ソフトウェアの共創に辿り着くべく越境し続けている。訳書に「リーン開発の現場」がある。著書に「カイゼン・ジャーニー」「正しいものを正しくつくる」「チーム・ジャーニー」「いちばんやさしいアジャイル開発の教本」がある。

中村 洋 Yoh Nakamura

株式会社レッドジャーニー
A-CSM(アドバンスド認定スクラムマスター)・CSPO(認定プロダクトオーナー)

様々な規模のSIerや事業会社でのアジャイル開発に取り組み、今に至る。現在まで主に事業会社を中心に40の組織、80のチームの支援をしてきた。
「ええと思うなら、やったらよろしいやん」を口癖に、チームや組織が自分たちで”今よりいい感じになっていく”ように支援している。
【発表資料】 「いい感じのチーム」へのジャーニー、チームの状況に合ったいろいろなタイプのスクラムマスターの見つけ方、アジャイルコーチが見てきた組織の壁とその越え方、など多数。

テーマ1.スクラムを他部門に横展開するには

スクラム開発を導入し一定の成果が出ています。上司より他部門に横展開していくことを求められていますが、どのように進めればよいか悩んでいます。

中村:”あるチームで上手くいった取り組みを、上司が他のチームにも横展開するようにと言うけれど、横展開される側は必要ないと思っている”というシチュエーションはよくあります。でもこういった場合、基本的に押し付けてもいいことはないと思います。なので例えば、上手くいっているチームの様子を見に来てみませんか?と持ち掛けると何かが変わることがあります

市谷:私は組織を丸ごと支援することが多いので、横展開が宿命といったところもあります。たくさんのチームがあると、こちらが良くなると別のチームが…といったモグラ叩きのようになってしまうこともありますよね。

中村:上手くできているチームはそれなりに時間をかけて成熟しているのですが、それを標準化してショートカットしようとすると何となくピリッとしなかったり、はまらなかったりするなとは思います。市谷さんは経営者に横展開を求められたら、どう答えていますか?

市谷:勝算があればいいのですが、勝算もなくバンバンやっていきたいと言われると…こちらとしてもやり切れるかどうかが大事ですからね。でも基本的にはその思いに応えてあげたいという気持ちが強いかな。洋さんはどうですか?

中村まず1つのチームをちゃんと作り、そこで自分たちの文化や傾向にあった価値観を見つけるのが基本だと思います。あとよく出てくるのは、スクラムマスターが別のチームに行くことができず、止まってしまうという問題ですね。

市谷横展開を進める人を1人にしないというのは大切ですね。経験者だからといって任せると、その人の負担がとんでもなく大きくなりすぎてしまうことがあります。

中村:横展開もそのチームのプロジェクトとして、仲間で取り組む。1人にしないのが大切だと思います。

テーマ2.ウォーターフォール上司との向き合い方

アジャイルと称して、全然アジャイルじゃないことをやっている組織との付き合い方は?

これまでアジャイル開発に積極的だった上司が、諸事情により、アジャイルをよく知らないウォーターフォールガッツリの方に代わってしまった場合、どのようにしていけばいいか?

市谷:理想論でいくと、どんな人が来たとしても、その人から見てひっくり返すのに労力がかかる状況を作れているとひとつの壁になります。それは物やルールかもしれないし、人間でもいい。もしそこにいる人が10対1でアジャイル側が多数であれば、ひっくり返すのは相当大変ですよね。あとはやはり、時間をかけて付き合っていくしかないとも思います。

中村対立してしまうとスムーズにいかない可能性が高いので、まずはフラットに見て会話するところがスタートかなと思いますね。その上司の方も失敗させようと思ってるわけではないはずなので、「俺が下手にいじらない方がいいんだ」と思わせるぐらいの成果を出しておけるといいですね。

市谷:やはり寄り添うしかないですよね。突破口が簡単に見つかるならすぐやっていくはずですから。一緒に悩む。あとはその場の方向性やシンパを増やすということはできるかもしれないですね。

中村:共通の課題や一緒に見られるものを見つけるのは最初の一歩ですね。とはいえ基本アンコントローラブルなので、フォーカスをずらして自分たちの中でできることを見つける方がいいのかもしれないですね。
 市谷さんはよく「できるところまで一旦下がる」と言っていますよね。

市谷:そうそう。ランチェスターの法則(※1914年フレデリック・ランチェスターが発表した、強者と弱者がそれぞれ取るべき戦略を示した概念。もとは軍事戦略であったが、現代では経営やマーケティングに応用されている)なんです。勝てるところまで、あるいは簡単になるところまで戻る。

中村:「どこまでだったらやれるのか」と下がるということですね。例えば今までは「スクラムもがっつり、ユーザーインタビューもやっていこう!」だったのを、「ユーザーインタビューはできないけど、週1回のふりかえりだけやるようにしよう」といった感じですかね。

市谷:そうですね。あとは外から関わっているものの強みとして、わたしたちが踏み込んでみるのもありかなと思います。相手も人間ですし、しかるべき立ち位置に立つ方なので、意外と伝わる場合もあると思います。

テーマ3.知見のない新規事業の始め方

新規事業を支援する際、自分やチームがそれに対する知見がない状態からスタートする場合、まずどんなことから始めますか?

市谷:基本的なインプットがないと一歩も踏み出せないので、まずはユーザーの現場を見に行こう!ということはありますね。
 あとは最初のスプリントが大切だと思います。初めはきっと上手くいかないと思いますが「スプリント1だから仕方ないよね」ではなく、「なぜうまくいかなかったんだろう?」「何をもってアウトプットが出なかったのだろう?」と因果関係を考えてみる。そういった小さなところから回転し始めることを重視します。

中村自分がユーザーになってみるということもありですね。例えば作ろうとしているサービスがカラーコンタクトレンズを販売するECサイトだとしたら、自分で買ってつけてみるとか。

市谷:自分の中に経験がないのに語ろうとしたり、上手くやろうとしてもまず無理。カラコンはめてみたり、スプリントもグダグダでも一応回してみるといった、経験を作ることは大切だと思います。

中村:経験を自分の中に落とし込めていると「ユーザーはこんなことを考えて、こう動くと思うから、こうしてみない?」「確かにそうだよね!じゃあこうしてみよう」のような、水車の回転がちょっとずつ早くなる感覚があるんですよ。それが大事だと思います。

 現場を見に行くのもいいですね。6ヶ月くらい作ってから「ああ、思い込みだった」と気が付くのはダメージが大きい。ただ、あまり早く行っても「ふーん」で終わってしまうこともあります。小さく回して「何かおかしい」「知らないことが多いな」と分かってから見に行くと知識や経験がぐんと入っていくのですが、そのタイミングが難しいですね。

市谷:経験や知見がないと目の前の出来事に対して解釈や評価ができない。かといって複雑に絡み合って前に進めない状態で、一気に良くしていこうとしても上手くいかない。「踏み込んでいっても全部は解決しないだろう。でも何か次の発見や評価ができるんじゃないか」と分かっていてやっていけるチームは練度が高いなと思います。

 何ができるかを詳細に言語化できると役に立つのかもしれないですね。例えば、僕はスポーツが苦手ですが、スポーツって「できるようになった!」という身体的、感覚的な前進がある一方で、「腹筋100回、200回」といったものさしで測れるようなこともある。
アジャイルのふりかえりでも、グニャグニャで浅いものもあればピリッとしたものもあります。その熟達度合いを言語化できたらよいかもしれないですね。

テーマ4.継続して測定していること

アジャイルコーチとして参加すると、様々なものを測定すると思いますが、スプリント1から現在まで継続して測定しているものはありますか? 立ち上がったチームを継続して見ていく時に、どこを見たらいいのでしょうか?

中村:注意事項は山ほどあるのですが。まずものさしでいうと、ベロシティやリードタイム、自分たちのソースコードの健康度合いなどを見ます。コードのカバレッジやデプロイの時間や頻度を計測することもあります。ただこれは外からできているかどうかを評価するものではなく、自分たちが今どうなっているのか傾向を見るためのものです。
 また副作用も見てほしいと思います。例えばベロシティがガンガン上がっていても、残業時間も上がっていたらよくないですよね。

市谷:健康診断メタファーはいいですね。あとはやはりスプリントごとにどれだけバックログを倒したかは見ていますね。私が関与している組織に2年以上、何百スプリントもやっているチームがあります。そこまで行くとバックログの粒度が揃うので、数だけ数えて様子を見るというものもありますね。

中村:あとよく言うのはアウトプットとアウトカム。「どれだけ作れたか」といったアウトプットも見つつ、「どれだけユーザーの課題を解決したか」といったアウトカムも見ると、チームとしてより貢献できているのかがわかりますよね。

そのチームが自立化しているか、外から見える基準のようなものがあるといいのかなと思っています。生産性以外も見なきゃいけないですよね。

市谷自立、自己組織化には段階があると思います。私の個人的な見立てとしては、まずは”自分で自分たちをコントロールできているか”。その上で”可視化、見える化ができているか”。個人が自立・自己管理ができていなければ任せることができないので、チームを見える化しても意味がないんです。だから先に個人、次にチームの見える化があると思います。それはチームとしての安定した実行力、アウトプットが続く状態。そこから先に起きていることや直面したことからちゃんと学び、自分たちでアップデートできるか、つまり学習の仕組みや機会をちゃんと作れているか。そこまで揃ってようやく自己組織化、自分たちで動いていけるかなと思っています。

中村:今の話は、エラスティックリーダーシップ(Roy Osherove著 2017年)に出ていた”チームの3つのモード”に近いですね。そもそも、ちゃんとやれるか、学んでいっているか、次に自分たちでやり方を変えていけるか。
 これは計測ではないのですが、支援している現場のマネージャーに「1週間関与しないでください」とお願いすることがよくあります。放っておいて何が起きるかを観察することで、どんなサポートが必要か、もしくはサポートなしでも回るのか見てみることはよくありますね。

テーマ5.鏡を見ることの厳しさと、目を向けたときに得られるもの

鏡を見ることの厳しさと、目を向けたときに得られるものとは?

市谷:「鏡を見ろ」というのはとても重要な施策です。でも見ているようで見ていないことがよくありますよね。

中村:「スクラムをやればもっと上手くできると言われても、そもそもちゃんとやりきれていないのに、スクラムを入れたところでどうにもならないよ」という時に、目の前に鏡をドンと置いて「今、何が見えますか?」ということをよくお話しします。コーチという外側の人間だからこそ言えることだと思います。

市谷これは未熟だからそうなりやすいということではなく、誰にでも起こりうる。こうして偉そうにお話ししている私にだって起きることです。だから絶対、鏡は手放せないですよね。

中村:私自身も自分を鏡に映した時に、言い訳をしたり、見て見ぬふりをしてしまうかもしれない。そんな時に外部の人やアジャイルコーチに「いや、こうだよ」とか「どうなの?」と突きつけられるのは必要なことだと思います。

市谷:兆候はありますよね。言い訳がましいとか、何かを取り繕おうとしているとか、あとで冷静になると自分でも分かる。チームではふりかえりやむきなおりで鏡を見るけど、個人でもやった方がいいと思います。チームだと”個”が埋没してしまうんですよね。必ずしもみんながフィードバックをくれるわけではないので、自分で自分の体の動き方や発言、考えなどに責任を持たないと成長の機会を失ってしまうと思います。

中村:チームのふりかえりで自分たちの動きを外在化、メタ認識してみる時、他人事のように「この動きダサかったよね」とか「なにかもっといい動きがあったよね」、「ちょっと言い訳しちゃったよね」のような言葉が出てくると”鏡を見てるな”と思いますね。逆に言い訳をしている場合にはこちらが鏡役になることもあります。

市谷鏡をみているときに美徳のようなものを持たなければいけないと思います。これは美しいか、みっともなくないか、間違っていないか、見苦しい発言をしていないか。そういったことを個人でもチームでも持てるといいですね。

中村:コードのレベルで言うと、警告が出ているコードをそのままコミットしないというのもひとつの美徳かもしれないし、出したものを計測しないというのはダメな美徳かもしれない。そういうものがちゃんとあって、それを鏡として置いた時に”自分たちはそんなコードを書いていないか?”と見られるといいですね。

市谷:美徳がものさしとしてあるから測れる、といった感じですね。

中村:ものさしがないとこの話は堂々巡りしてしまいます。逃げ回るというか、目を背け続ける。いいですね、美徳。自分たちが忠誠を誓うものがあるからこそ、鏡を見ても比べられる。目を背けずに済むといったことはあるかもしれないです

市谷:よく”目的に忠誠を誓う”と言っていましたが、照らし合わせたときに美徳に適っているかどうかで「これは目的を失っていますよね」と相手を選ばずにちゃんと言っていけると思います。

アフタートーク

中村:あっという間に1時間がたとうとしています。本日のセッションはいかがでしたでしょうか?

市谷:最後に美徳という言葉が見つけられたのはよかったかなと思います。美徳の美とは、何をもって美しいかということは言葉にしきれない部分があります。言語化できないイメージのようなものは、価値観というよりも美徳なのかなと思いこの言葉を使いました。

中村:市谷さんの個人でできるか、やりきれるかといった話しもよかったですね。

市谷やはりチームという概念は重要だし基本であると考える一方で、チームという言葉で隠してはいけないところもあると思いました。

中村:とても分かります!自分を律することができる人たちが集まってこそのチームのパワーであって、やらない人をカバーするためのチームではない。やれる人が全力を尽くしても当然ミスもする。そういう時にこそチームの力が発揮される。そこをはき違えると甘々ななにかができてしまうと思いますよね。

 ご参加いただいた皆様からの感想も届いています。

鏡を見る、背筋が伸びる思いでした。

チームの話で、まず個人からできているかという点はとてもいいなと思った。

やっぱり”あえて踏み込んでみる”なんだなと。ここは勇気を持って疑問を投げかけてみるのが良いと思いました。頑張ってみます。

鏡は見た上でやらなくてはと思いつつ、目の前のことに翻弄されています。ですがコツコツやるしかないと思いました。

スプリントイベントが形骸化していて、アジャイルをやっているはずなのに全然やれている感じになっていないのはどうしたらいいか?という問いには、「鏡を見ろ」だと思った。

いつの間にか自分を自分の手で縛っていると感じました。いいなと思うこと、いいなと思う人と話せることは、いいなと思いました。

市谷:いいですね。よかった。ここのコメントはみんな尊いですね。こういった感想を持っている感じが、本当に「アジャイルをやっていく」ということなのではないかと思います。こういった世界観で続けていけるといいなと思います。

中村:尊いという言葉もいいですね。参加してくださった方が今日の話を受けて、明日なにかやってみよう!とか少しでも変わったらいいなと思います。今日はありがとうございました。

市谷:ありがとうございました。

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