2020年、新型感染症と格闘しながら共存を模索していく過程で、日本のデジタルトランスフォーメーションは否応なしに押し上げられたと言えるでしょう。アジャイルの黎明期からおよそ20年、今ほど日本の組織でアジャイルの熱量が高まったことはなかったのではないでしょうか。ようやく、アジャイルの「次」の段階へ辿りつこうとしている今、求められているのは「どれだけアジャイルのことを知っているか」という鋼鉄の権威などではありません。今の環境・組織、それぞれにあった「アジャイル」とは何かをめぐる探索こそが必要です。これからの新しいアジャイルとは?今の組織、現場にいる一人一人の視線の先にある「シン・アジャイル」について、レッドジャーニーの市谷が株式会社ナビタイムジャパン小田中育生様と対談しました。

話し手

小田中 育生 Ikuo Odanaka

株式会社ナビタイムジャパン VP of Engineering
ACTS(研究開発)ルートグループ責任者

2009年株式会社ナビタイムジャパン入社。経路探索の研究開発部門責任者としてGPGPUを活用した超高速エンジンやMaaS時代にフィットしたマルチモーダル経路探索の開発を推進。移動体験のアップデートに携わりながら、VPoEとしてアジャイル開発の導入推進、支援を行う。
著書「いちばんやさしいアジャイル開発の教本

市谷 聡啓 Toshihiro Ichitani

株式会社レッドジャーニー 代表
元政府CIO補佐官
DevLOVE オーガナイザー

サービスや事業についてのアイデア段階の構想から、コンセプトを練り上げていく仮説検証とアジャイル開発の運営について経験が厚い。プログラマーからキャリアをスタートし、SIerでのプロジェクトマネジメント、大規模インターネットサービスのプロデューサー、アジャイル開発の実践を経て、自らの会社を立ち上げる。それぞれの局面から得られた実践知で、ソフトウェアの共創に辿り着くべく越境し続けている。訳書に「リーン開発の現場」がある。著書に「カイゼン・ジャーニー」「正しいものを正しくつくる」「チーム・ジャーニー」「いちばんやさしいアジャイル開発の教本」がある。

アジャイルとの出会い

市谷聡啓(以下、市谷):既にご存知の方も多いとは思うのですが、「そもそもアジャイルって何ぞや?」という話を少しさせていただきたいと思います。「アジャイル」という言葉は、2001年に公開された「アジャイルソフトウェア開発宣言」で確認されました。しかし、その実態であるXPやスクラムといった開発手法はもっと早くに生まれています。XPは1999年頃から、スクラムは1993年から、さらに言うと、スクラムは1986年に『Harvard Business Review』で発表された野中郁次郎先生の論文(「The New New Product Development Game」1986 野中郁次郎、竹内弘高)をもとに編み出されています。つまり、実態としての歴史は1986年までさかのぼることができるということになります。

 当時、XPやスクラムをそれぞれ掲げて活動していた人たちが、お互いのしていることを見て、「これは似ているのではないか」と。そして、2001年に集まって、「我々のやっていることに言葉をつけるとしたら何か?」ということで「アジャイル」という言葉が確立されたと言われています。その時に集まった人たち、つまり、この宣言に同意した人たちの名前を見てみると、Kent Beck、Jim Highsmith、Ron Jeffries、Dave Thomasと、「超有名な人たちばかり」という感じですね。

小田中育生様(以下、敬称略):そうですね。でも、私がちゃんと知っているのは5名くらいでしょうか。Kent BeckとMartin Fowlerは好きで著作を読んでいますし、Alistair Cockburnは、先日、アジャイルジャパンでの講演を拝見しました。Jeff SutherlandとKen Schwaberは「スクラムの人」として認識しています。Robert C.のクリーンアジャイルも読みましたね。

市谷:私もすべての方を知っているわけではありませんが、一人一人が有名な伝説級の人たちです。ただ、伝説はいつまでも続くけれど、本人たちがいつまでも現役でいてくれるわけではないのですよね。例えば、私は「Jim Highsmith推し」なのですが(笑)、彼は1945年生まれですから現在76歳です。50年ほど前の世代の方々だということは知っておいた方がいいと思います。

 ところで、小田中さんの「アジャイルとの出会い」って、どんなことがきっかけだったんでしょうか?

小田中:比較的歴は浅くて、といっても10年前になりますけど、2011年に出た『アジャイルサムライ』(「アジャイルサムライ――達人開発者への道」2011 Jonathan Rasmusson)という素晴らしい本がきっかけです。当時、私のチームのリーダーだった方が、「これからはこういう新しい開発の方法がメインになっていくだろうから、一緒に勉強しよう」と言って持ってきてくれたのが、私とアジャイルとの出会いでした。

市谷:『アジャイルサムライ』なんですね。それは何というか、感慨深いです。私の方は、2002年くらいに言葉として知った感じです。アジャイルの本を読む前に『達人プログラマー』(「達人プログラマー 職人から名匠への道」2000  Andrew Hunt、 David Thomas)を読んで、「こういうライトウェイトなものを求める動きがあるらしい」と知ったのがきっかけでした。

 そこから白本(「XPエクストリーム・プログラミング入門―変化を受け入れる」2000 Kent Beck)を読んで、非常に興奮したのを覚えています。ただ、XPについての理解や解釈は、最初はあまりいいものではありませんでした。考え方はすごいと思ったものの、「本当にできるのかな?」「開発の現場では、とてもじゃないけどできそうにないな」と感じて、「アジャイルごっこ」なんじゃないかと斜めに構えて見ていたところがありました。顧客である「システムを必要とする人」たちの存在が、もちろん語られてはいるのですが、場合によっては置き去りになりかねないと感じたのです。

自分にとってのアジャイル

市谷:さて、そんな風にしてアジャイルと出会った後、「自分にとってのアジャイル」とはどういうものだったでしょうか?

小田中:これは相当なタフクエスチョンですね(笑) そうだな、自分にとっては、前に進むための羅針盤かな。仕事を前に進めるための羅針盤としてのアジャイルと、自分の視界をすごく広げてくれたという意味での羅針盤としてアジャイルと、二つの意味があります。アジャイルで透明にして(課題をクリアにして)少しずつ良くしながら進んでいくというプロセス自体が羅針盤だと思いますし、私自身、アジャイルと出会ってからチームでの動き方や働き方が変わったり、コミュニティに参加するようになったりして、いろんな人との繋がりが生まれたんです。以前は勉強会に出るようなタイプではなかったので、もしアジャイルと出会っていなければ今でもそうだったかもしれません。

市谷:私の方も、最初はやはり同じでしたね。開発チームのaliveのために、つまり、チームが生き生きと活動していくために、という希望をもってアジャイルを見ていました。そう考えるようになったのには、コミュニティとの出会いも大きかったと思います。

 その後、2012~2013年くらいでしょうか、価値の探索のためのものという位置づけに変わっていきました。仮説検証とアジャイルを一体として行うことで、今までにない価値に辿り着けるかもしれない、と考えていました。今は、さらに広がって、組織のaliveのために、と捉えています。アジャイル開発チームの話にとどまらず、組織、部署、事業部、会社、といった様々なところでアジャイルが活きる時代です。開発のためだけのものではなく、組織運用にも活かせるものだと思います

2020年代のアジャイルはどうなるのか?

市谷:これから先、2020年代のアジャイルについては、ネガ・ポジ両面から捉えられると思います。今、開発の現場にはいろんな経験やバックグラウンドを背負った人たちが入り混じっています。大きく三つに分けられると思うのですが、それぞれにアジャイルのネガ事案となりうる側面を持っています。

 まず、「古きアジャイルの口伝者」たちがいます。どちらかというと私もここに入りますが、15~20年くらい前にアジャイルに取り組みはじめた人たちです。振り返ってみると2001年以降、2010年に至るまで、アジャイルがうまくいかなかった時代が延々とありました。死屍累々、屍を積み重ねるごとく、「こうしたらなんとかうまくいくかな」ということを、ちょっとずつ知見を得、仲間を得ては試し、それでもうまくいかないということが珍しくなかった時代が10年も続いたのです。

 2010年というのは『アジャイルサムライ』が世に出た年です。そこから、インセプション・デッキを用いて期待をマネージしようという考え方が出てきました。これが一つのエポックだったと私は思っています。アジャイルの前半戦を振り返ってみると、「期待合わせ」がまったくうまくいっていなかったのではないかと思います。ITやシステムを必要とする人たちが何を期待しているのかを、よく分からないまま開発を進めた結果、大量のプロジェクトが炎上することになりました。「暗黒時代」とあえて言いますが、その時代に苦しんだ人たちが、2020年を迎えた今あらためてアジャイルを前にしたとき、転じて懐疑派になることがあると思います。

 次に、2010年頃からアジャイルに取り組みはじめた「ベテランの布教者」たちがいます。10年の経験があるので、アジャイルの現場においてはグルのような存在です。アジャイルを伝え、現場での取り組みを支える重要な人たちですが、それだけに、ともすると権威者として君臨することになります。グルの言葉は重く受けとめられますから、権威的な発言や振る舞いが過ぎると、メンバーはやりにくくなってしまいます。

 最後に、この数年くらいで増えている「アジャイル資格保有者」たちです。資格を持っている人が増えたことは非常にいいことだと思っています。先人たちが本やコミュニティの勉強会を頼りに苦労して学んできたことを、まとまった知識体系として得られるのですから、非常にいい環境と言えます。ただ、本やテキストを読んで学べばアジャイルを習得できるかというと、そんなことはありません。現場に出れば、たちまち本に書いてあることと違うことが起こるわけです。ですから、資格取得と並行して、実体験を積み重ねることで自分の中に学びを蓄積していき、応用を利かせられるようになることが大事です。

 ちなみに、私はアジャイルの資格は一つも持っていません。

小田中:ブラックジャックですね(笑)

市谷:もぐりの(笑)アジャイルの人なんですよ。

アジャイルへの誤解にどう対処するか。

小田中:たしかに、「プラクティスをなぞっていればアジャイルだよね」というような傾向は時々見られます。スクラムは厳密なフレームワークですが、その型をなぞること自体が目的になっているようだと疑問を感じます。逆に、教科書に書かれているようなプラクティスを全部やっていないからといって、「自分なんか、なんちゃってアジャイルで」「ちゃんとアジャイルできていないんですが」なんて言う人がいます。型どおりじゃなくても、マインドセットがしっかりできていて、学びながら前に進むサイクルができていれば十分素晴らしいのに、そういう人が自信をなくしてしまうのは残念です。

 また、「アジャイルに対して誤解があるお客様に対して、どう説明すればいいのか?」という相談をよく受けます。今、アジャイル開発は広く受け入れられるようになっていて、PMBOK(Project Management Body of Knowledge。プロジェクトマネジメントの世界標準と言われる)でさえアジャイルに接近していると言われるほどですが、ゆえに正しく伝わらないケースも増えているのだと思います。例えば、「アジャイル開発だと納期後半になっても要件追加できるんでしょ?」と悪気なく尋ねられたりする。アジャイルの価値観に共感するのではなく、一側面を切り取って都合よく使おうとしているのでしょうね。

市谷:そういう一側面だけの「切り取り」は昔からあって、例えば、「アジャイルだったら安く、早くできるんでしょ?すごいものができるんでしょ?」と言われることがあります。「期待合わせ」がうまくいっていないわけですね。

小田中:私がアジャイル界隈に足を踏み入れたばかりの頃、「アジャイルをやっても途端にうまくいくわけではありません」と開口一番に予防線を張る人がすごく多かったんです。最初の頃は事情が分かりませんから、とても違和感がありました。市谷さんが先程、暗黒時代を生きてきた人たちの話をされていましたが、彼らが転じて懐疑的になるということもよく分かります。

市谷:今、伝統的な組織のDX支援も手がけていますが、50代から20代まで幅広い年代が入り混じって大変な混乱を生むことがあります。本当にいろんな人がいますから、それぞれの背景にある歴史は知っておく必要があると思います。