デジタル技術を活用して人々の暮らしをより良い方向へ変化させる、DX(デジタルトランスフォーメーション)の流れが世界で加速するなか、日本のDXは遅れているという指摘があります。大企業や伝統的な業界では特に難しいとされるDXを推し進めるべく、野村ホールディングス株式会社では2019年4月未来共創カンパニーが創設され、レッドジャーニーは2020年からアジャイル支援を行ってきました。証券におけるアジャイルの取り組みについて、日本の組織とDXについて、執行役員 未来共創カンパニー長池田肇様にお話を伺いました。(聞き手:レッドジャーニー 市谷聡啓)
※役職・肩書は当時のものです。

あらためてDXとは?どのような組織課題に向き合うものだろうか。

市谷聡啓(以下、市谷):池田さんは、野村ホールディングス株式会社執行役員 未来共創カンパニー長を務めていらっしゃいます。未来共創カンパニーは2019年4月に新設された社内横断型組織で、サービスのデジタル化対応、新規ビジネス開発、DX人材の育成や社内支援等に取り組まれています。証券における未来共創カンパニーの目指すところとは、あらためてどのようなことなのでしょうか。

池田肇様(以下、池田様):未来共創カンパニーは、お客様の行動が多様性を増しながら急速に変化を遂げている状況を受けて、デジタル等の新しい技術を活用し、お客様にとって最良のサービスを提供するために立ち上げられました。

 野村證券も含め金融機関の強みは、お客様の様々なお悩みに対して対面でアドバイスやコンサルティングができることです。いずれはオンライン、オフラインなどの形式を問わず様々なタッチポイントで、24時間365日、お客様からのご相談に対して丁寧な対応ができる体制を目指しています。我々が担っているのは、そのための特にデジタル面におけるミッションです。

市谷:私が関わらせていただくようになったのは2020年4月頃ですので、未来共創カンパニーの設立からちょうど一年が経過した頃からです。その間の証券での活動を含め、様々な組織でのDX支援活動を通して分かってきたことや、DXに関する工夫、直面する課題などについてまとめた書籍が今回発刊したデジタルトランスフォーメーション・ジャーニーです。池田さんには「推薦のことば」を快くお引き受けいただき感謝しております。

 本書でも触れている通り、DXはRPAやツールを導入して終わりというようなものではまったくなく、提供価値の変革と組織の変革という二つの変革を起こすためのものと定義しています。

 提供価値の変革とは、顧客や社会のニーズを捉え、それに対する製品やサービスの提供を、データとデジタル技術を活用することで、今までできなかったような新しい体験として提供できるようにするための変革です。また、それを持続的に続けられるように業務やプロセス、体質や企業の文化に至るまで組織の内側の変革を進めていくのが組織の変革です。

 私は、DXにはこれら二つの変革が備わっていると考えていますが、池田さんにとってのDXとはあらためてどういうものでしょうか。あるいは、どんな組織課題に向き合っていくものとお考えですか。

池田様:お客様に新しい体験価値を感じていただくためには、特にお客様と直接接するフロント部分のサービス向上にデジタル技術が欠かせないと思います。それを実現するためには提供する側の組織のあり方が非常に重要なわけですが、ここで苦労される企業が多いのではないでしょうか。というのも、多くの企業ではどちらかというと縦割り型の組織構造になっています。しかし、DXのような取り組みには組織横断的な活動の仕方が求められますよね。DXの重要性を多くの社員が認識し、各自、各部門が実行に移そうとしても、縦割りの組織構造のなかで横串を通すのは容易ではありません。我々も非常に苦労した部分で、今なお苦労しているところです。

 ただ、最近は徐々に手応えを感じつつあります。市谷さんのように外部の人材も含めて様々な方にサポートしていただきながら活動を継続してきたことで、部門を横断して取り組むことの意義が少しずつ社内全体に伝わってきていると感じます。

市谷:部門横断的な取り組みの難しさは本書の主題の一つでもあり、「水平上の分断」と表現しています。

 背景には、「探索」と「深化」という異なる方向性を持った組織能力があります。部門ごとに専門性を高め効率化を進める「深化」が重視されてきた流れのなかでは、ともすれば既存事業を磨きあげることに偏りがちです。結果、新規事業に必要な「探索」の能力がなかなか培われず新規事業が育たないということが、多くの組織において課題となっています。部門間に横たわる大きな溝を、橋渡しして越えていく必要がありますが、DX支援の活動をしていると総じてうまくいっていないのが正直な実感です。

「日本の組織」と「両利きの経営」について。「深化」「探索」それぞれについての課題とは。

市谷:「日本の組織」と「両利きの経営」について、そして「深化」と「探索」について今直面している課題とは、どのようなことでしょうか。

池田様:両方とも非常に大事なことだと思うのですね。特に、大きな会社では成功している既存事業が重要視されて当然ですし、徹底的に深化させることには大きな価値があるはずです。既に形になっている既存事業が優先されて、新しい分野での探索が後回しにされがちなのも、ビジネスとして捉えれば仕方がないことです。

 だからこそ、未来共創カンパニーは事業部門とは別の組織として創設されました。会社全体としては両利きの経営で進み、探索的な活動については別のルートでアプローチするというスタイルを取ったわけです。新しい領域で一定の成果が出るまでの探索的な活動を、専門チームが徹底的に行うことで、いずれは会社全体で深化と探索の両方が機能するようになることを目指しています。現時点では、これが一つの有効な方法だと考えています。

市谷:未来共創カンパニーが専門チームとして探索を担いながら成果を出すことで、やがて深化を担っている既存事業と橋渡しをし、融合させて組織全体へ広げていくというイメージですね。

 おっしゃる通り、深化と探索は両方必要ですが、同時に進めることは非常に難しい。新規事業の開発、既存事業の見直し、人材の獲得、育成など多岐にわたる課題を同時並行的に進めなくてはなりませんし、それ以前に、社内のコミュニケーションのあり方など足元の課題から見直す必要もあります。デジタルトランスフォーメーション・ジャーニーは、その指針となるDXの四つの段階設計です。これが正解ということではありませんが、参考にしていただければ幸いです。

日本の金融機関にとってのDX課題とは何か。そのために求められる取り組みとは?

市谷:伝統的な大企業の中でも、日本の金融機関に特有のDX課題とはどのようなことでしょうか。また、そのためにどのような取り組みが求められるでしょうか。

池田様:近年、非金融機関による金融サービスが行われるようになりました。デジタルを活用した決済など顧客目線に立ったサービスについて、金融機関としても早急に対応していく必要があります。しかし、当社での取り組みを見ていると、サービスが「こちら目線」になりがちだと感じます。顧客目線を起点としてサービスを作るのがDXの出発点ですから、我々の提供するサービスが本当にお客様のニーズとマッチしているのか、不足しているものは何なのか、というアプローチは非常に重要だと考えています。

 また、人材の獲得と育成についても整理しなおす必要があります。デジタルサービスの登場により、お客様にとって最良のサービスをご提供するために必要なスキルセットがまったく違ってきています。

市谷:証券に限らず銀行や保険なども含めた金融機関では、サービスの性質上、恐らくこれまでも顧客目線に立ってサービスを提供されてきているように思います。DXを推進するにあたって、あらためて顧客目線に起点を置いてサービスを再定義するとなると、今までと違うのは特にどのような点でしょうか。

池田様:恐らく金融機関特有の規制や法令、セキュリティレベルなどによる制限が、業界・組織としての「固さ」を生み出していると思います。お客様や社会の変化に適応する柔軟さを持ちながら、守るべきところは確実に押さえるバランスが非常に重要です。お客様が求めている金融サービスは何か、それを提供するための我々の取り組み方はマッチしているのか、ゼロベースで捉え直さなくてはなりません。

大企業、金融機関DXにおける「業務のデジタル化」「人材教育」の取り組みとは。

市谷:先程おっしゃっていた人材の課題についてもおうかがいしたいと思います。デジタル人材の育成と一口に言っても、実情は組織によって様々です。業界や金融機関における今後の人材像や、そのための取り組みについてはどうお考えでしょうか。

池田様:お客様とのタッチポイントやサービスの届け方など、変化が大きく急速な時代においては、顧客目線でのサービスをゼロベースから考えられるようなフレキシビリティのある人材が必要です。先程の「深化」と「探索」で言うと探索型の人材ですね。デジタルに限らず、新しい発想や考え方を持った人材が重要になってくるのは、金融機関に限ったことではないはずです

市谷:たしかに、業界を問わず共通の課題と言えそうです。DXの取り組みは多岐にわたりますが、既存の業務やプロセスをオンライン化するなどのデータを活用する動きは非常に多く見られる一方で、新しい価値の創出へ踏みだしていく機会はこれまであまり見られませんでした。少しずつ増えてきており、今後の大きなテーマになっていくと思います。

後編へ続きます。